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2025.11.13 14:15

「難しい本」が面白い 「わかりにくさ」が人々を動かす時代へ

アーシュラ・K・ル=グウィンのSF小説『闇の左手』の原書と日本語版(撮影=前澤知美)

アーシュラ・K・ル=グウィンのSF小説『闇の左手』の原書と日本語版(撮影=前澤知美)

今回は、「難しい本」について書いてみようと思います。

そう思ったきっかけは、先日アーシュラ・K・ル=グウィンのSF小説『闇の左手』を読み終えたことにあります。この本がとても難しかったのです。1969年に出版された同書は、ネビュラ賞・ヒューゴー賞のダブル受賞を達成し、ル=グウィンのSF作家の地位を確立した作品として知られています。

物語はル=グウィンが設計した架空の宇宙が舞台です。惑星連合への加盟を促すために派遣された使節と、派遣先の王国の宰相。この2人の視点を軸に、宇宙の歴史や伝説も織り交ぜながら、物語の断片を多角的に辿っていく構成になっています。

私が好きなSF作家ベッキー・チェンバーズが影響を受けたと知り、原書で読み始めました。しかし本当に難しく、ページがまったく進まない。半分で日本語版に切り替えましたが、途中で言語を変えたせいで世界観を再構成する必要が生まれました。結局、両方を同時に開いて交互に確かめながら、ようやく読了しました。

この本の難しさは、物語構造の複雑さと前半の「何も起こらなさ」でした。読者が想像力と論理を使って「自力で」物語をつないでいくしかない。孤独で地道な作業を強いられることになります。

しかし読んでいる間ずっと「この本が伝えようとしていることを受け取らなければ」という感覚がありました。チェンバーズさんが見い出した何かをつかみたい。その一心で読み続けた結果、読後の衝撃がものすごかった。友情や愛についてこれまで得たことのない視座と感動を受けました。

思想家の内田樹さんは『内田樹による内田樹』のなかで、20世紀フランスで活動した哲学者、エマニュエル・レヴィナスの『困難な自由』を初めて読んだことを振り返りながら、こう述べています。

「最初の数十頁を四苦八苦して読み通したあとでも、ほとんど一行も理解できていなかった。でも、『僕はこの本の読者として想定されている』という確信がなぜかありました。それは、いきなり道ばたで見知らぬ外国人に両手をつかまれて、聞いたことのない外国語で、大きな声で話しかけられている感じに近いものでした。何を言っているのかはさっぱりわからない。でも、間違いなくこの人は僕に向かって話しかけている」

内田さんは、メッセージの意味はわからなくても、それが自分宛てであることはわかる。そうしたコミュニケーションこそが「コミュニケーションのコミュニケーション」ではないかと述べています。

内田さんの見解に付け加えるなら、「コミュニケーションのコミュニケーション」は読者側の「自分宛と思い込む姿勢」だけでは成立しない気がします。書き手の「読者を信じて難しいことを書きつくす姿勢」も同じくらい重要だと思うのです。

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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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