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2025.11.13 14:15

「難しい本」が面白い 「わかりにくさ」が人々を動かす時代へ

アーシュラ・K・ル=グウィンのSF小説『闇の左手』の原書と日本語版(撮影=前澤知美)

Shutterstock.com
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前述したSF作家のチェンバーズさんはあるイベントで「希望のある未来を描くことの難しさ」について語っています。「ホープパンク」や「コージー(居心地のいい)SF」と称される、劇的なことが起こらない普通の人々の未来の作品を多く発表する彼女は、「暗い未来を描くより、小さな親切や協力がつくる未来の物語を描くことのほうがよほど難しい、だからこそ尽力したい」と言います。

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他にも、書き手が「尽くすこと」について、太宰治は『如是我聞』でこう書いています。

「文学に於て、最も大事なものは、『心づくし』というものである。『心づくし』といっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし、『親切』といってしまえば、身もふたも無い。心趣(こころばえ)、心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。つまり、『心づくし』なのである。作者のその『心づくし』が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う」

この太宰の文章自体も、読みやすいけれど、曖昧でわかりづらい一種の「難しさ」を感じます。「心づくし」を親切、心趣、心意気、心遣いとさんざん言い換えて、「つまり、『心づくし』なのである」と決めきれず結んでいる。しかし、その曖昧さや煮え切らなさをそのまま書くことに徹しているからこそ、読者は時間をかけて太宰と交流したような気になるのではないでしょうか。

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以前この連載で、複雑なものを単純化せず、複雑なまま提示することで生まれる豊かさについて考察しました。それは「わかりやすさ」が支配する現代における、ある種の抵抗でもあります。

難しい本を読む経験は、この「複雑性」との対峙を個人的に実践できる場所です。分断がニュースでもフィクションでも主役となっている今、難しい本との向き合い方は「理解できない相手とどうコミュニケーションするか」という問いへと通じる気がするのです。

即座の理解や効率を求めず、時間をかけて相手を信じる。その姿勢が、深く循環する文化や社会を築く基盤となる。その意味でも新しいラグジュアリーの文脈で考えてみたいと思いました。

安西さんは、古典も難解な本も多く読まれていると思いますが、「難しい本」についてどんなことを考えますか?

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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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