食&酒

2025.11.16 11:30

調味料や料理法を開発 江戸の食文化に学ぶ未来へのヒント

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世界の人々を魅了する日本の食文化。その背景には、豊かな自然はもちろん、先人たちの知恵や努力、遊びがある。「食べることを楽しむ」ために日本料理の基礎となる調味料や調理法を生み出した江戸に見出す、未来へのヒントとは。

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今に続く「1日3食」の裏話

徳川家康が築いた泰平の世は、日本人の食のかたちを、戦乱の世の「生きるために食べる」から「食べることを楽しむ」時代へと変化させました。約260年の長きにわたる江戸時代、和食の基礎となる多くの料理や調理法が誕生しました。

幕末に江戸を訪れた外国人たちは、「日本の男性が皆、背は低いがギリシャ彫刻のように引き締まった体をしている」ことに驚いたそうです。日本人の遺伝子は、炭水化物をエネルギーに変える能力が高いため、平均1日5合もの米を食べ、8kmを歩く生活が理想の細マッチョ体型を育みました。

今や食習慣の基本となった「1日3食」が定着したのは、江戸時代中期以降。それまでの日本人は朝と夕の2食でした。転機となったのは、10万人以上の死者を出した1657年の「明暦の大火」。その復興を担う職人たちが体力維持に間食を必要としたため、建築現場の周辺に屋台ができ始め、昼食の習慣とともに、外食産業が始まるきっかけになりました。また、同時期に照明油の価格が下がったことも一因です。日暮れてからも読書や裁縫などをするようになり、1日2食ではもたなくなったのです。

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とはいえ、ご飯を炊くのは1日1回。武士や職人の多い江戸では朝に、商人の多い京・大坂では昼に一日分を炊き、それ以外は冷や飯でした。その冷や飯はレジスタントスターチ(難消化性澱粉)を増加させるため腸活によく、実は現在お弁当で冷や飯を食べることは、とても理にかなっているのです。

さらに、江戸の家庭料理を語るうえで欠かせないのが、大豆加工品である味噌汁、豆腐、納豆と漬物です。特に味噌汁は「朝の毒消し」「医者殺し」などといわれ、健康維持に欠かせないことを皆知っていたものです。

マグロは下魚、卵は高級品

基本的に肉食を禁じられていた江戸時代、主菜副菜を支えたのが、市場と行商のネットワークです。日本橋魚河岸には各地から魚が集まり、「やっちゃ場」と呼ばれた青物市場では近郊で採れる旬の特産品が取引されました。そして、「棒手振り」と呼ばれる行商人たちが長屋を巡り、玄関先で魚をおろして刺身に仕立てるなど、現代のデリバリーサービスさながらの利便性を提供。冷蔵庫などなく、必要な分量だけをその場で買うシステムで、余った魚は干物や漬け魚に。「余らせず使い切る」精神が根底にありました。

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文=車 浮代

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