食&酒

2025.11.16 11:30

調味料や料理法を開発 江戸の食文化に学ぶ未来へのヒント

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ところで、現在は高級魚であるマグロは、江戸時代は猫も跨いで通る「猫またぎ」と呼ばれる下魚でした。江戸湾で獲れないため、魚河岸に届くころには脂身から傷んでいたためです。マグロとは逆に、当時は高価だった食材の代表は卵。幕末に養鶏が行われるようになるまで、鶏は刻を告げる神聖な鳥として量産されておらず、現在の価格にして1個500円ほどで売られていました。

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マグロが見直されたのは、野田や銚子で製造が始まった濃口醤油(関東地廻り醤油)に漬ける「ヅケ」という技法がすし屋で発明されてから。すし自体は、米酢より安価な粕酢が知多半島で発明されたことで、握りずしがブームとなりました。この高温多湿な島国で、それでも生の魚介類を好み、ネタに酢洗いやヅケなどの仕事をして、大量のガリとともに食す。今のように握りずしに醤油をつけて食べるようになったのは、冷蔵技術が発展してから。いったんは廃れた粕酢の酢飯や、ネタに仕事をする店が近年は高級店になっているのは不思議なことです。

ちなみに、醤油が誕生したのは現在の和歌山県。弁才船で江戸に運ばれてくる「下り醤油」は高価で、庶民が口にできるものではありませんでした。醤油に限らず、上方から江戸に運ばれる下りものは高級品。今も当たり前に使われている「くだらない」という言葉は、江戸のモノの流れに由来します。

ミシュランさながらの「料理屋番付」

さて、安価に手に入り、江戸の人々の舌に合わせてつくられた濃口醤油は、あっという間に全国に広がり、和食を決定づける調味料に。それは、蕎麦・鰻・すし・天麩羅を屋台の人気メニューに押し上げました。

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屋台が儲かると店を構え、「江戸前の四天王」と呼ばれたそれらの料理は現在、日本料理の象徴に。実はミシュランガイドが誕生する100年近く前、江戸では相撲番付になぞらえた「料理屋番付」があり、料理屋が味を競い合い、外食文化が大いに盛り上がりもしました。日本料理の調理法の基礎は、江戸時代に確立されたといえます。

生産や物流、保存技術など、あらゆる制限があるなかで、「食べることを楽しむ」ために調理法や調味料を開発した江戸庶民の知恵やクリエイティビティ。それは食文化として今につながり、日本の価値となっています。おいしさから健康意識、フードロスに至るまで、過去は「食の未来」を考えるうえで大きな示唆を与えてくれます。

『浮世絵に見る江戸の食文化』

日本のカルチャーに注目が集まるなか、ロサンゼルスで開催された企画展で「浮世絵に見る江戸の食文化」のトークを実施。それにあわせバイリンガル書籍を出版。


車 浮代◎時代小説家、江戸料理文化研究所代表。1964年、大阪府生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業。江戸料理の再現・研究のほか、浮世絵にも造詣が深い。著書は『蔦重の教え』『江戸っ子の食養生』ほか多数。

「食を通じて、いのちを考える」を掲げる大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン「EARTH MART」と Forbes JAPANが連動し、食の未来を輝かせる25人を選出した。生産者、料理人、起業家、研究者……。本誌 11月号では、豊かな未来をつくる多様なプレイヤーを紹介する。

文=車 浮代

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