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2025.11.03 11:30

天恵のインバウンド:川村雄介の飛耳長目

maodoltee / Shutterstock.com

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1980年、初めてのニューヨークでは、世界貿易センタービルの巨大エレベーターに圧倒された。多人種がひしめき合い、髪も肌も色がまちまちで、入り混じったコロンの匂いには閉口した。汗ばんだ体臭と一緒になって鼻を突く。「こんな環境で米国生活が出来るだろうか」。期待よりも不安が先立ったものだ。

2年後に帰国した私は、久しぶりに東京駅のラッシュにもまれていた。違和感にとらわれる。人群れのすべての髪の色が黒いのだ。米国で、金髪、茶髪、赤毛、黒髪の混在を日常風景として受け入れてくると、黒一色の日本人の髪は勝手が違う。それに、すっかり親しんだ「米国の匂い」がまったくない。

人間は心身に染み付いた環境、習慣、文化、言語などと異質なものに大きな抵抗を感じる。特に食事と習慣が大きい。これに宗教が絡まってくるとさらに厄介だ。

友人が困惑顔でこぼす。「同じマンションに南アジアの家族が住んでいてね。礼儀正しいとても良い人たちなんだが、週末パーティ、それにキッチンから漏れてくる食べ物の匂いがねえ」。パーティに先立ち、先方はマンション各戸に「大勢で遅い時間までご迷惑をおかけします」とあいさつに来るという。

パーティが始まるとなんと50人以上集まっていた。立錐の余地もないスペースでにぎやかなおしゃべり、子どものかけっこ、果ては歌合戦だという。午前1時を回っても盛り上がるばかり。さすがにたまらずピンポンを鳴らすと「良いところに来た。これからお祈りです。あなたもどうぞ」と主人が笑顔で出迎えたそうだ。

宴の後の数日は、マンションの廊下に強烈なスパイスと肉料理の匂いが残る。部屋の中にも忍び込んでいて、エスニック料理が苦手の友人は、半分ノイローゼになりかかっている。

日本人と外国人との邂逅は、違和感と混乱の歴史だった。織田信長は、宣教師が連れてきたアフリカ人の能力を評価して取り立てた。だが同時に、初めて見る黒い肌は墨を塗ったものだと信じ込み、体を洗わせても色が変わらないことに動転したと伝えられている。「碧眼紅毛」の西欧人は南蛮人と呼ばれた。明治初期には、西欧近代文明への畏敬と「異人さん」への違和感がカオスを生んだ。

欧米も例外ではない。長年月のユダヤ人への迫害、最近では黄禍論によるアジア人差別がまたぞろ頭をもたげている。

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川村雄介の飛耳長目

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