ヒーローの才能は生まれ持ったものなのか、学んだものなのか、もしくはパフォーマンスを促進する薬物のおかげというケースもあるのか、などと私たちは気になってしまう。
書店には、自分自身がスーパーヒーローになるために必要な特性(意志力や自尊心、自分を律する力など)を書きたてた本が溢れている。
個人主義のこの社会では、「環境は、自分から切り離されて存在する、自分とは別のものだ」と私たちは(意図的にせよ無意識にせよ)考えている。どういうわけか、私たちは環境からは何も影響を受けはしないと思っているのだ。
人と環境は2つでひとつ
しかし本当のところは、あなたとあなたの環境は2つでひとつだ。
ある状況において、あなたが何者で何ができるかということと、別の状況であなたが何者で何ができるかということは、まったく異なる。
にもかかわらず、それが実験室で出た結果であれ、私たち自身の実体験であれ、周囲の状況から切り離して分離してしまうのが欧米的なやり方だ。
私たちは、物事をそれぞれ箱に入れてしまい、物事の間に存在する相互作用を見逃してしまう。
こうした個人主義的な世界観は根が深い。他の見方をしたり、これが全体像ではないかもしれないと理解したりすることすら、非常に難しい。
心理学者のティモシー・ウィルソンはこう話す。
「人の行動は、その人の性格や考え方から来るものだと思いますよね? 拾った財布を持ち主に返すのは、“正直”だから。ごみをリサイクルに出すのは、“環境を気遣っている”から。キャラメル・ブリュレ・ラテに5ドルも払うのは、“高いコーヒーが好き”だから。しかし多くの場合、それは周囲からのかすかなプレッシャーによって形作られているのです。でも私たちは、プレッシャーがかかっていることにすら気づけません。そのため、自分の行動は自分の内側からやってきたものだと勘違いしてしまうのです」
不幸なことに、極端な個人主義に代わり票を集めているものに、「完全決定論」[訳注:人の意志や行動はすべてあらかじめ完全に決められているとする考え]がある。人は個々人の意志や行動主体性を持たずに、ロボットのように動いているという考えだ。
こうした極端な見方はどちらも見当違いで危険だ。

