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2025.11.13 16:00

“歩けない”が、世界を動かす。ミライロ垣内俊哉が示す「バリアバリュー(障害を価値に変える)」の原点

日本には数多くのアントレプレナーが存在する。しかし、「企業理念」と「生き方」がこれほどまでに重なり合う人物はそう多くない。ミライロ代表取締役社長 垣内俊哉──。彼は骨形成不全症による車いすでの生活を通じて得た実感から、「障害を価値に変える(バリアバリュー)」という理念を掲げ、在学中の2010年にミライロを設立した。デジタル障害者手帳「ミライロID」をはじめ、ユニバーサルデザインのコンサルティングやユニバーサルマナー検定など、“当事者発”の革新的ソリューションを生み出し続けている。社会の構造そのものを変えようとする彼の挑戦とその軌跡を振り返る。


「人生」というプロジェクトのオーナーは、自分自身である。社会や時代や運命に選ばせるのではない。なぜ生きるか、どう生きるかは自分で決めるほかない。それこそが、アントレプレナーシップの核心でもある。

そうして生きているアントレプレナーに社会や時代や運命は味方する。そうして生きていくなかで社会や時代や運命と見事に共鳴していく。「事業成功」の出発点は、いつでもそこにある。

確固たる自分の人生を歩き始めるまでの苦闘

思えば、アントレプレナー垣内俊哉の出発点は、ナースセンターから湧き起こった拍手喝采だった。

「私は『骨形成不全症』という魔法をかけられて生まれてきました。私がはじめて歩いたのは3歳のときです。その後も骨折を繰り返し、入退院を余儀なくされる日々が続きました。そして、小学4年時に3カ月ほどの入院生活を経て、5年生になるころには車いすで生活せざるをえなくなりました」

はじめて歩いた日、垣内の母親はうれしくて涙が止まらなかったという。地元の公立中学に進んだ際には、先生たちが「垣内君がスムーズに通学できるように通学路の途中にある段差を解消しよう」と教育委員会から予算をとってくれた。そのお金でベニヤ板やアスファルトを購入し、同級生が段差にスロープをつけて舗装した。

「そのとき、はじめて私は『不便な環境でも使いやすく変えられる』ということを学びました。高校は第一志望だった公立高校に入ることができました。しかし、幼少期から募り続けた『歩けるようになりたい』という想いを遂げるために、私は17歳の春に高校を休学して手術とリハビリに専念することを決意しました」

休学する際、親と先生にプレゼンテーションした資料が今も残っている。尋常ならざる決意と情熱で、垣内は手術を受けた。しかし、垣内は歩けるようにはならなかった。

「あの絶望感は、今でも忘れることができません。その後、高校には復学しないで高卒認定試験(旧・大検)を受けることにしました。最初に受けた模試の偏差値は33でしたが、私は一心不乱に勉強しました。そして、高卒認定試験に合格し、最終的に定めた第1志望が立命館大学経営学部でした。『起業する』という新たな夢を打ち立てたからです。しかし、入試が1~2週間前に迫ったとき、私は車いすで転倒し、骨折してしまいました」

試験日までに退院することは不可能だった。それでも、垣内は病室で寝たきりで勉強を続けた。そして、試験当日。垣内は民間の救急車で大学まで行き、ベッドに寝たままの状態で試験を受けた。

「合格発表の日は、病室で大学のサイトを開きました。自分の受験番号を見つけた瞬間、私は思わずナースコールを押して『受かりましたーっ!』と叫んでしまいました。少し間を置いた後、遠く離れたナースセンターから大きな歓声が聞こえてきました」

そのとき、垣内の頬を伝っていたのは、歩けないことを知った日とは違う涙だった。

「自分の足で歩くという夢は叶いませんでした。それでも、『確かに自分の人生を自分の意志で歩いているという実感』を得ることができたのです」

一時は死ぬことも考えていた。悩み苦しんだ日々を経て、垣内は遂に、確かに自分の人生を歩き始めたのである。

垣内俊哉 ミライロ 代表取締役社長
垣内俊哉 ミライロ 代表取締役社長

世界を変えるような大きな仕事へ

2010年6月2日、垣内は立命館大学在学中に同級生の民野剛郎とミライロを設立した。最初の事業は、障害者の視点で大学とその周辺の環境を調べ上げて詳細に記すバリアフリーマップの制作だった。

「ミライロを立ち上げる際、多くの人から『助成金が得られやすいNPO法人にしたほうがいい』と助言されました。しかし、私は『社会性と経済性の両輪で事業を走らせていかないと、結局は長続きしない』と考えていました。『生きるか死ぬかの厳しい環境でやらないと、世界を変えるような大きな仕事はできない』——そう思ったからこそ、株式会社として立ち上げたのです。しかし、1期目の売上は、わずか120万円。ようやく2期目から売上が伸び始めて、何とか黒字に転じました」

1期目の途中からバリアフリーマップのターゲットを教育機関だけでなく企業や公共施設にも広げた。さらに、2期目からはバリアフリーのコンサルティング事業もスタートしている。そうした取り組みの積み重ねが少しずつ成果につながっていった。

「同時に、ユニバーサルマナーの研修事業も始めました。これは、実際に障害のある講師を採用して、障害者や高齢者へのサポート方法についての知識や技術、当事者の心理までを詳しくレクチャーするというもの。『ハードは変えられなくてもハートは変えられる』という哲学を行動に、社会活動に変えていくための事業です。13年には日本ユニバーサルマナー協会を設立し、ユニバーサルマナー検定もスタートしました」

現在、検定事業には「ユニバーサルマナー検定」の他に「LGBTQ+対応マナー研修」「ユニバーサルコミュニケーション研修(聴覚障害のある方への対応マナー研修)」「ユニバーサルワーク研修(精神障害や発達障害がある方への対応マナー研修)」「認知症対応マナー研修」がある。

「これまでに企業や学校、自治体など多種多様な団体が研修や検定を受けてくださっています。『自分とは違う誰かの視点に立って行動するためのマナー』が備わっていることは、企業価値の向上につながります。高齢者や障害者への適切な対応は、企業が持続的に社会、そして経済的に価値を創造していくうえで不可欠なものです」

そして19年7月、ミライロはデジタル障害者手帳「ミライロID」という画期的なソリューションをリリースすることになった。

「『ミライロID』は障害者手帳をデジタル化したスマートフォン用アプリです。公共機関や商業施設で提示することにより、障害者割引が適用されたり、必要なサポートをスムーズに受けることができます。障害のある人と企業、双方の情報共有の負担を軽減して、障害のある人が外出しやすくなる社会の実現を目指して誕生しました」

25年10月現在、「ミライロID」を提示することでサービスが受けられる協力事業者数は、約4,200となっている。19年7月のリリース当初は、わずか6社だった。世の中にないものを創り、ブレイクスルーを果たすことは容易ではなかったという。

デジタル障害者手帳「ミライロID」のデモ画面。16年に事業としてスタートした「飲食店やホテルなどのバリアフリー情報を配信するアプリ『Bmaps(ビーマップ)』」を統合するなど、バージョンアップを果たしながら利用者・協力事業者を増やしてきた。
デジタル障害者手帳「ミライロID」のデモ画面。16年に事業としてスタートした「飲食店やホテルなどのバリアフリー情報を配信するアプリ『Bmaps(ビーマップ)』」を統合するなど、バージョンアップを果たしながら利用者・協力事業者を増やしてきた。

地球の裏側で目撃した涙の真意とは

ミライロの企業理念は「バリアバリュー」である。これには「障害を価値に変える」という意味が込められている。今、ミライロにはさまざまなバリアのある人材が加わり、「お互いが認め合う企業文化」が醸成されている。そうしたカルチャーが根づいていてこそ、組織としてのバリューが生み出されるからだ。

「2025年3月24日、ミライロは遂に東京証券取引所グロース市場に上場することができました。上場セレモニーの際には、東京証券取引所のご協力により、車いすに乗ったままでも鐘を叩けるように仮設スロープを設置していただきました。東京証券取引所の長い歴史において、これははじめてのことだそうです」

この25年3月以降、東証の上場セレモニー「オープニング・ベル(上場の鐘)」の舞台では仮設のスロープが設置できるようになった。垣内俊哉というアントレプレナーの登場により、上場セレモニーがバリアフリー化されたのである。

「上場の鐘は5回です。ひとつめの鐘を鳴らすために私がスロープを駆け上がると、会場の遠くで両親が涙を流しているのが見えました。私は必死に涙をこらえながら鐘を鳴らしました。続いて共同創業者で副社長の民野が涙を流しながら鐘を鳴らしたとき、私の目からもこらえていたものが一気に溢れ出しました」

歩きたいと願い続けた日々、歩けなくてもできることを探した日々、歩けないからできることに懸命になってきた日々。そうした日々のなかで、垣内は幾度も涙を流してきた。その涙の色合いは、垣内のアントレプレナーとしての成長に合わせて変わってきた。

しかし、これで終わりではない。

2017年、垣内はエクアドル政府に招聘され、現地で講演を行った。会場には、障害のある子どもたちとその親たちが、エクアドル全土から集まっていた。ところが、講演の途中で英語・スペイン語の通訳マイクが突然遮断されるという不慮の事故が起きてしまったという。

「それでも、私は日本語のまま、自分の生い立ちや事業への想いを懸命に話し続けました。そうしているうちに、言葉は通じていないはずなのに、たくさんの人が涙を流し始めたのです。
講演後にその親御さんたちと話をしてみると、『今日、私たちの国の真裏にある日本から、車いすに乗った人がやってきて、こんなに立派にお話をされている姿を見て、自分の子どもの将来に希望がもてました』と言ってくださったのです」

たとえ、言葉が伝わらなくても——。存在自体が誰かの希望になることがある。

「死ななくてよかったな。ここまでやってきてよかったな。あの講演のとき、心からそう思うことができました。大言壮語も甚だしいかもしれませんが、世界で10億人以上はいるといわれる障害者とその家族のすべてが、自分の境遇をネガティブに捉えなくてもいい未来を創っていきたいと、私は本気で考えています」

人は、希望があるから生きていける。希望を司るアントレプレナーの挑戦は、これからも続いていく。


かきうち・としや◎1989年、岐阜県中津川市生まれ。2010年、立命館大学経営学部在学中にミライロを設立。13年、一般社団法人日本ユニバーサルマナー協会を設立し、代表理事に就任。16年より、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アドバイザーに就任。龍谷大学客員教授、上智大学非常勤講師、立命館大学訪問客員も務めてきた。

ミライロ
本社/〒532-0011 大阪府大阪市淀川区西中島3-8-15 EPO SHINOSAKA BUILDING 8F 
URL/https://www.mirairo.co.jp
従業員/50名(2025年11月現在)


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