その感覚はどうやって磨かれたのか。最初の就職先は日本IBM。外資系だが、最初から世界を視野に入れていたわけではない。入社3年目まで全然ダメで、目の前のことだけで精いっぱいだった。「あるお客様から『きみはIBM製品に詳しい。ただ、我々が何に悩んでいるかわかってない』と指摘されて目が覚めました。それから『Put yourself in your customer’s shoes』を意識しています」
6年目に国内トップ営業に。充実していたが、日々の仕事に忙殺されるなかで危機感を覚えた。
「新幹線に乗ると、通過した駅の名前はよく見えませんよね。当時の私の状態がそれで、迷子になりかけていました。富士山のように大きな目標をもてば新幹線に乗っていても見失わないはず。そう考えて、『55歳で引退、50歳でグローバル企業の社長』と逆算して目標を立てました」
世界での活躍を目指して自分を磨き始めたのはこのころからだ。40代で米IBMに出向し、特別タスクチームに。世界標準のやり方を学ぶと同時 に、日本からの見方を伝えて存在感を発揮した。グローカル感覚は、こうした経験を重ねて培われていった。
IBM中興の祖ルイス・ガースナー、その後に転職した日本テレコム(現ソフトバンク)の孫正義、そしてマーク・ベニオフと、小出のまわりには強烈な個性をもつリーダーが多かった。ガースナーは「戦略」、孫は「攻め」、ベニオフは「イノベーション」が際立つリーダーだった。
では、本人はどんなタイプか。そう問うと「リーダーの能力や特性をレーダーチャートにすると、私はどれも平均点かな。でも、足りない部分は努力して身につけ、キャリアを構築してきた」と自己分析した。
リタイアに設定した年齢は、とっくの昔に過ぎた。しかし自分磨きは今も続けている。
「これからリーダーは、人間だけでなくAIエージェントを部下としてマネジメントしなければいけない時代になります。私自身も先日、AIエージェントをつくる研修をアメリカまで受けに行った。リーダーが先手を打って変わらないと、この変革期に組織を率いる資格はないと思う」
こいで・しんいち◎1958年、福島県生まれ。大学卒業後、日本IBMを経て、2006年ソフトバンクテレコム副社長、07年日本HP社長。14年セールスフォース日本法人会長兼CEO就任。22年社名をセールスフォース・ジャパンに改め、現職。


