かつて百貨店内の店舗で、目標が前年比105%に対し、95%と振るわなかったことがあった。その際、店長が「百貨店全体の売上が前年比90%なので仕方ない」と報告してきた。私は「他と比べても仕方がない。去年より少しでも良くしようという自分たちの積み重ねた努力こそが、当たり前のレベルを高めるんだ」と伝えた。
経営においてマクロ経済や外部の環境、他社の動向に左右されるのはナンセンスだ。相対的な評価に振り回されるのではなく、自分たちの絶対評価を基準に成長を追求することが何より大切である。
それは、誰かにやらされるのではなく、自分自身の中から湧き上がる内発的なモチベーションから生まれる。相対的な評価は常に揺れ動き、簡単に崩れ去る。SDGsがトランプ大統領の一声でトーンダウンしてしまったように……。しかし、自分たちが「こうありたい」と願う内発的な想いは、決して揺らぐことはない。
天理市のコンビニのトイレが美しいのも、そこで働く人々の中に、世の中の平均よりも高い当たり前のレベルが文化として根付き、内発的な動機で掃除をしているからに他ならない。マニュアル上は、他の地域のコンビニと何ら変わらないはずだ。しかしながら、その土地の暮らしに根付いた当たり前のレベルの高さが、驚くほどの清潔さを自然に生み出している。
そうした内発的な動機を育む鍵は、自分にとっての世界をどう捉えるかだ。世界の範囲をどこまで広げられるかによって、日々の行動は大きく変わる。例えば会社の掃除をしないのは、会社を自分とは関係のない場所と捉えているから。自分の世界を自分だけに留めるのか、会社や地域、社会にまで広げられるのか。その意識の差によって行動が変容し、当たり前のレベルアップに繋がっていく。
ただし、自己を定義する広さは一貫性を持っていなければならない。自身のサイズを、状況や相手によってコロコロ変えると、信頼を失いかねない。自分を広く捉えながら、時間軸を長く持ち、一貫性を保つことで、ひのきしんのような精神が自ずと宿り、当たり前の高さを引き上げてくれるだろう。
連載:拡がる“ライフスタンス”エコノミー
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