ゴルフを愛するForbesの読者なら、ご存じであろうゴルフ界の祭典「ライダーカップ」。
世界選抜の精鋭たちが欧州、米国に分かれて競う真剣勝負には、スポーツという枠を超え、ゴルフの精神性が見て取れる。そんな“聖戦”をサポートするロロ・ピアーナの真意とは。
いったい“ゴルフ”とは何なのだろうか?
私自身が長年抱いていた疑問を胸に、2年に1度開催されるゴルフ界最大のチーム対抗戦「ライダーカップ 2025」を訪れた。
今回の戦いの舞台は米国ニューヨーク州のベスページブラック・コース。神聖なるそのコースで戦いを繰り広げる選手たちを観戦しながら、ゴルフというスポーツの意義、そして欧州チームの選手やスタッフがすべての公式行事で着用するユニホームを、なぜロロ・ピアーナが2016年以来サポートしているのかを考えてみた。
戦争の邪魔になる平和な競技=ゴルフ
ゴルフ競技は18ホールをラウンドした合計打数により、勝敗を決するスポーツだ。しかし、その起源はあまり知られていない。羊飼いの遊び説や中国の宮廷で行われていた競技説など、諸説あるのもその理由だろう。
この「ゴルフ」という固有名詞が初めて登場したのが1457年。当時のスコットランド王であるジェームズ2世が、ゴルフ禁止令を公布したときというのが定説だ。当時は敵国イングランドとの一触即発の緊張状態が続いており、いつなんどき戦争に突入するかわからない状況下だった。
そこでゴルフに興じると、戦意を喪失させ軍事訓練に支障をきたすというもっともな理由で禁止令が出された。ゴルフをプレイする和やかな風景は、今も昔も平和のイメージそのものだ。
ロロ・ピアーナが恋するゴルフの精神
しかしゴルフとは、平和的なスポーツという側面だけではない。忍耐強さや厳格さ、そして静寂が求められる。それがゴルフの神髄だ。
その精神性に、ロロ・ピアーナは大いに引かれた。ロロ・ピアーナの哲学である伝統への敬意、完璧さへの飽くなき追求、そして不屈の精神。
それらがゴルフの神髄に合致しているからこそ、同メゾンは欧州を代表するゴルファーと長い年月をかけて選手が着用するユニホームの素材やデザイン、細かなディテールまでを共同研究してきた。
ライダーカップのために、ゴルフに適した機能的かつスタイリッシュなユニホームを完成させることは、すなわちロロ・ピアーナのゴルフへの愛とリスペクトの表明である。また前述のジェームズ2世がおそれたゴルフのプレイ中に流れる平和な時間は、ラグジュアリーという言葉がもつ豊饒な時間という概念そのもの。
そこにロロ・ピアーナの哲学が美しくシンクロするのだ。

一方、ゴルフは極めて誠実で孤独な競技でもある。自分でペナルティを科し、状況に言い訳せず、最後まで冷静に判断し続けなければならない。
だからこそゴルフは、人格を試される競技ともいわれる。多くのビジネスパーソン、経営者の多くがゴルフを愛する理由は、そういったところにあるに違いない。経営者は常に孤独との闘い、である。

ゴルフの“球聖”が残した言葉
では、そんな孤独なスポーツでもあるゴルフを個人戦ではなく、今回の「ライダーカップ2025」のような団体戦で行う意味はどこにあるのだろうか。そこで思い浮かんだのが、ゴルフ界のレジェンド、“球聖”ボビー・ジョーンズの言葉だ。
「人生の最後において大事なのは、何人のゴルフ仲間を得たかである」
米国と欧州に分かれて3日間、熱戦を繰り広げた選手たちには、戦いが終われば敵味方関係なく真の友情が生まれ、人生の友となる。ここベスページブラック・コースにて、そんなかけがえのない瞬間に、私をはじめ多くのギャラリーが幸運にも立ち会えた。
そしてロロ・ピアーナは、友として人生を共にする服とはどうあるべきなのかを、ゴルフを通じて欧州のプレイヤーと、私たちにも訴えかけていた。
そして再び、ボビー・ジョーンズの名言である。
「最後のパットまでベストを尽くすことができない人を、私はゴルファーとは認めない」。
それはゴルフという枠を超えた、人生訓といえるだろう。こんな名言が数多く残るゴルフという競技に多くの人が夢中になり、ロロ・ピアーナというメゾンも、そしてロロ・ピアーナ・ファミリーもゴルフを通してさまざまな人との豊かな時間に恋をする。
ゴルフとは何なのか、その真の魅力を初めて理解できた気がする。そう、ゴルフとは哲学、なのだ。優れたゴルフプレイヤーも、モノづくりに関して妥協なきメゾンも、実に奥深い魅力があり、ついには哲学を帯びてくるのだ。

ロロ・ピアーナ ジャパン
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