今、メディアやSNSを中心に「ヘイト」を巡る言説があふれてる。立教大学教授の橋本栄莉が、文化人類学の観点から「ヘイト」の正体に迫る。
「ヘイト投稿」「ヘイト拡散」「ヘイト認定」──。昨今、このカタカナ3文字を含むワードが、メディアやSNSで見ない日はないほど取り上げられている。「ヘイト」は、特定の人種・国籍・民族・宗教や性別をもつ集団に対する犯罪・暴力的行為を指す「ヘイトクライム」、差別や排斥をあおる言動である「ヘイトスピーチ」に由来する言葉だ。なぜヘイトはこんなにも話題をさらい、なぜ人はヘイトに陥るのか。ヘイトの正体とはいったい何なのか。文化人類学者である私自身の経験も交え、考察してみたい。
文化人類学とは、文化的他者と生活を共にし、その思考を体得することを目的とする学問であり、その対象はアフリカの「部族社会」から現代の科学者コミュニティまで多岐にわたる。とはいえ、文化人類学者といえども超人ではなく、その辺にいる普通の人間に過ぎない。他者理解を掲げながらも、調査対象者である人々とけんかをしたり、彼らを受け入れることができずに嫌悪感を抱くこともしばしばある。念のため断っておくが、文化人類学者は差別問題の専門家ではない。しかし、誰よりも「他者と共にあること」「他者を理解すること」のジレンマに苦しみ、自身のなかに巣くう偏見や嫌悪感情と向き合っている。そういう意味では、「ヘイトのスペシャリスト」とも言えるだろう。
私はこれまでアフリカの紛争地域で人々の信仰や歴史観を研究し、近年では日本社会におけるさまざまな生きづらさを「呪い」として読み解くコラムも執筆している(注1)。世界の神話や信仰、そして 人々の苦しみや生き様を見ていると、人間は国家や民族、さらには幸福や成功といった、さまざまな物語に翻弄されながら生きていることが浮かび上がってくる。
(注1)橋本栄莉「人類学者が教える呪いの解き方とかけ方」(NewsPicksトピックス)https://newsPicks.com/topics/eri_hashimoto
ヘイトは「多様性の尊重」とセットで語られることも多い。ヘイトは多様性に対するバックラッシュ(反動)として勢いを増してきたともいわれる。私は、ヘイトも多様性も、単なる個別の感情や社会現象ではなく、私たちがより生きやすい社会を求める過程で生まれる「物語」であり、同時に「呪い」であると考えている。その理由を述べる前に、私自身に起きたヘイトを巡る出来事に触れておきたい。
人類学者がヘイトに加担した日
「ヘイトは良くない」と言ってしまうのは簡単だ。しかし、憎悪の感情や衝動は、誰もが心に抱く可能性のあるもので、ヘイトに加担する(と思われる) 人たちを「道徳的に問題のある人間」と決めつける のもまた、ひとつのヘイト行為であると私は考えている。なぜなら、私自身、いかなる状況でもヘイトに加担をしないかと問われると、絶対の自信はないからだ。ちょっとした社会の動揺のために、なんでもなかったことが一気に特定の集団に対するヘイトに転じてしまう。そんな場面を、私は何度もアフリカで見てきた。差別に対する道徳教育を日本で幾度となく受け、また教える立場である私もそれに関与したひとりなのだ。



