2. 自分の中にある社会性と繋がる 〜 オーセンティックリーダーシップに気づいた旅
次に、自分自身の心と深く繋がったビジョンやスタイルを元にリーダーシップを発揮していくべきであるという「オーセンティックリーダーシップ」と、その核心的な営みであると私が考える「ラディカルセルフケア」について、自分のケースを元に論じたい。前項と同じで、団体を独立するときに自分自身と深く対話したことにより、自分自身の中にある当事者性を持った社会課題に気づくことができた。
2015年に自分自身がカンボジアに残って独立することを決めたとき、かものはしプロジェクトの共同代表から「どうして団体を辞めるのか。インドや日本に一緒に移れば良いではないか。もしカンボジアで活動を続けていきたいという強い志があるなら、しっかりとそれを伝えてくれないと応援できない」と言われた。これは私にとっては答えることが非常に難しい問いで、結果として1年の時間をかけた内省の旅の始まりとなった。難しかった理由は、19歳で起業して以来、自分にはこれだという志がなく、ただ熱狂の中で常に「次の三年貢献できて成長できれば良いか」ということでキャリアを決めてきたからだ。
その内省が大きく進んだのは、予想もしなかった対話によってであった。共同代表の友人が提案してきたのは、私がもっとも苦手とする親族と向き合うことだった。基本的には冷静で大体ご機嫌、一度も仕事でキレたことがないくらいの自分であったが、その親族と話すときだけはどうしても泣いたり取り乱してしまう。その人は長いこと精神疾患で閉鎖病棟に入院しており、自分が海外にいたことであまり会わなかった人でもあった。カンボジアで教育に関わっていこうと思っている自分が、なぜ日本の親族と向き合わなければいけないのか。そんな反発も覚えたが、自分自身が何者なのか、何が本当にしたいのかをどうしても明らかにしたいという思いの中で、向き合ってみることにした。具体的には、日本に帰る度にお見舞いに行き、その後仲間達と集まってその体験について対話を続けた。
何度もその親族に会う中で、「なぜ自分は取り乱すのか」ということにやっと向き合えるようになってきた。そこで気づいたことが2つある。
ひとつは「“頑張る”とは環境が与えてくれた技術である」ということ。親族と対話しながら反応してしまう自分の心を見つめてみると、そこには「恐怖」があった。それは、「カンボジアで起業して事業を続けていきたいと話していた自分が、万が一明日この病気にかかってしまったら、もう何も進まないんだ」という恐怖だと思う。実際、その親族にも夢があった。海外で働くことに憧れ英語の勉強をしていたが、薬のせいで記憶力は低下し、社会復帰も難しく、いつまでもずっと同じ英単語帳を勉強していた。
翻って自分を省みると、これまで起業して海外で事業を進めてきたことを全部「自分が頑張ってきた」と自分の手柄のように思っていたことが恥ずかしくなった。「自分はただ病気じゃなかった」だけじゃないのか。ただ恵まれた家に生まれ、疑問も持たずに大学に行かせてもらっただけ、ただ勉強が性に合っていただけではないのか。自分がこれまで大変な場面を乗り越えることができたのは、はたして「自分が努力したから」だけだったんだろうか。自分を取り巻く多くの人たちが、「青木、頑張るといいことあるぞ」と色んな形で伝え応援してくれた結果として、「頑張る技術」を環境から得ることができたんじゃないのか。
私がカンボジアの農村でたくさん出会ってきた、その日を必死に生き抜かなければいけない人たちにとっては、将来のビジョンを持つことも難しかったりする。そんな中で、ビジョンに向かって一歩ずつ努力させてもらえる環境がどれだけありがたく、当たり前でないことか。


