世界が「誤解」したスウェーデンモデル
第一波、第二波においては、感染対策を指揮するスウェーデン公衆衛生庁が毎日14時より記者会見を行った。この記者会見は198回にも及び、パンデミックで公衆衛生庁の顔となった当時の国家疫学者、アンデシュ・テグネル氏は世界的に有名となった。しかし、ほとんどの国が「ロックダウン」という強硬策を採用した中、スウェーデンは「ロックダウン」を採用しなかったため、「独自路線」と評され、高齢者介護施設での死者数が非常に多かった事実もあって、「無策」であり、「人命軽視」であると誤解された。
パンデミック対策に象徴的な「ユニバーサルマスク」を重要視しなかったことも、視覚的に「無策」のイメージを強くするものであった。
現実には「無策」には程遠く多くの制約があったが、とりわけスウェーデンが大切にしたのは「子供たちができるだけ通常通りの健康的な生活を継続できること」であった。筆者には当時小学校低学年の2人の子供がいるが、風邪症状がある場合には欠席すること、子供以外は校内に入れないこと、通常ランチルームでビュッフェ形式のランチを各教室で食べること以外に制約はなく、もちろんマスクも不要で、ほぼ通常通りの生活を送ることができた。
国家疫学者アンデシュ・テグネル氏が「手記」を!
筆者はパンデミックを通じて、世界に広まったスウェーデンのパンデミック対策に対する「誤解」を解消すべく発信を行ってきた。さらにはメディアを通して得られた情報だけではなく、スウェーデンの感染対策を指揮したテグネル氏本人の言葉を日本語にして伝えたいと思い、テグネル氏に面会しインタビューに同意してもらった。そして、インタビューが実現する前にテグネル氏の手記本が発売されるのを知ることになったのだ。
スウェーデンのパンデミック対策を追いかけ、スウェーデンの感染者治療にも従事した立場から、この本を翻訳することは自分に与えられた使命ではないかと感じた。スウェーデン擁護の立場から発信していると、それにより発信する情報に対し色眼鏡をかけて受け取られることは必至で、情報に対する信憑性にも関わってしまう。しかし、テグネル氏自身の言葉を伝えることにより、中立の立場で真実を伝えることができると思った。
今回、翻訳だけではなく、翻訳にあたり実現したインタビューの内容を盛り込んだが、そのインタビューを通して初めて私自身の誤解が解けた部分もあった。そして何よりも、テグネル氏が一行政官として国民の健康、幸せを第一に考えて力を尽くしてきたことが理解できた。地位や名誉などには興味のない、素朴で不器用だが温かく、純粋で一途な人間性を感じた。
著者、アンデシュ・テグネル氏から日本の読者へのメッセージ


