酸素のない世界と、突如出現した酸素
太古代の大気中の酸素濃度は、現在の約100万分の1だった。当時の多くの生命体にとって酸素はまったく不要なものであり、むしろ有害でさえあった。生命は、現代の私たちが吸っている空気とは無縁の化学反応によって繁栄していた。
しかし約24億年前の古原生代に、状況が一変する。「大酸化イベント(GOE)」と呼ばれるこの転換期は、地球を永遠に変えた。
光合成を行う微生物であるシアノバクテリア(藍藻)が、エネルギーを作り出す過程で副産物として酸素を放出するようになったのだ。数百万年かけて海洋の酸素濃度は飽和し、海中の鉄や鉱物を酸化させて、海を錆びたような赤い色に染めた。
こうして新たに生じた豊富な酸素は、やがて大気中に漏れ出し、歴史上おそらく最も重要な結果を伴う大量絶滅を引き起こした。酸素を必要としない嫌気性生物の多くが反応性の高い気体である酸素に適応できず、死滅したのだ。
一方で、大酸化イベントは後に続くほぼすべての生命体に道を開いた。より複雑な多細胞生物に適応した大気を生み出し、ついには人類をも育むに至る環境が培われたのである。
酸素化への適応
大酸化イベントについてさまざまなことが明らかになって以来、科学者たちを悩ませてきた謎がある。それは、酸素がほとんど存在しない世界に生きていた微生物がどのようにして、酸素で満ち満ちた世界への飛躍を成し遂げたのか、ということだ。
この謎の答えを探るため、東京科学大学・地球生命研究所(ELSI)を中心とする研究チームは、現代の地球上で当時の海に最も似た環境を保っている日本の温泉に着目した。鉱物成分を多く含んだ温泉は、いわば「タイムマシン」というわけである。
温泉は非常に独特な化学的組成を有しており、その中には二価鉄イオン(Fe2+)が豊富なものもある。酸素に満ちた現代世界では、わずかな酸素にさらされるだけで二価鉄イオンはほぼ瞬時に酸化して三価鉄イオン(Fe3+)となるため、こうした含鉄泉は希少な存在だ。
それでも一部の温泉では、二価鉄イオンの濃度が高く、酸素濃度が低く、水素イオン指数(pH)がほぼ中性の状態が維持されている。これは地球の新太古代~古原生代(約25億年前前後)の海洋環境と条件が極めて近い。
そこで研究チームは、含鉄泉を調査すれば、地球が酸素化していく移行期において初期の生態系がどのように機能していたかを垣間見られるのではないかと考えた。そして、得られた知見は驚くべきものだった。


