模写に基づく作品を制作したアーティストにはジェフ・クーンズのほか、ローラン・グラッソ、マドレーヌ・ロジェラカン、クリスティアナ・ソウロウ、ファビエンヌ・ヴェルディエなどが含まれる。
クーンズはボルケーゼの「眠れるヘルマフロディトス」をゲイジング・ボールで取り囲んだ石膏の彫像として再現。グラッソはロベールの「廃墟」を基に、いくつもの炎が浮かぶミステリアスな絵画を描いた。
また、ロジェラカンはジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの「トルコ風呂」を題材にした「Bain de minuit(真夜中の入浴)」を発表した。ロジェラカンは模写をすることを考えたとき、まず頭に浮かんだのは、1973年にシルヴィア・スレイが発表した「The Turkish Bath」だったと述べている。
ただし、ロジェラカンの作品は「風刺」であり、同じ作品に着想を得ていても、「フェミニストのステートメント」であるスレイの作品とはその点で異なる。技法としては、同じ1970年代に制作されたラリー・リバースの「I like Olympia in Black Face」に近い。リバースはエドゥアール・マネの「オランピア」を基に、描かれている2人の人種を入れ替えて、彫像を制作した。
つまり、リバースとスレイの作品に示されるように、模写は決して完全に消滅していたわけではなかった。前衛芸術においてさえ、1960~70年代にはそれ以前の時代の作品を超えようと試み、模写することによって、発展してきた。
ポップアートにおいても、模写は欠かせないものだった。シルクスクリーン技法を用いてアンディ・ウォーホルが描いた「モナリザ」からも、エレイン・スターテヴァントが模写したウォーホルの作品からも、そのことがわかる。また、ピクチャーズ・ジェネレーション(1974~1984年ごろ)のムーブメントにも、模写は取り入れられていた。
ポンピドー・メスの展覧会のキュレーターたちも、こうした歴史を否定してはいない。展覧会のカタログにあるロジェラカンの作品についての説明の中でも、スレイの模写について触れている。


