ブック

2025.10.24 18:00

『ハリー・ポッター』シリーズの原作小説は、今でもまだ一読に値するのか

Real_life_photo / Shutterstock.com

この作品については、月日が経つにつれ問題視されるようになった要素があり、多くの意見が出ている。なかでも注目を集めているのが、奴隷として主人に仕える「屋敷しもべ妖精」のサイドプロットだ。

advertisement

この点に関しては、批評家が正しい。実際、屋敷しもべ妖精についてのプロットは、ことのほか不可解で、物語が進むにつれますます奇怪で趣味が悪くなっていく。

屋敷しもべ妖精として最初に登場するのがドビーだ。陰険な魔法使い一家であるマルフォイ家に不本意ながら仕えていて、自由の身になることを切実に願い、幸いにもハリーのおかげで奴隷の身分を解かれる。ここまで読んだ読者はたぶん、「邪悪な」魔法使いの家族が、屋敷しもべ妖精という奴隷を持つのだと思うだろう。

advertisement

そして第4巻で再び、ウィンキーという屋敷しもべ妖精が登場する。ところがこのウィンキーは、どう見ても主人から残酷な扱いを受けているのに、奴隷のままでいたいと心から思っている。

ドビーは、常識に逆らう「変わり者」という描かれ方をしている。そして、ドビー以外の屋敷しもべ妖精は1人残らず、たとえ主人に虐待されようとも、魔法使いに仕える奴隷として喜んで一生を捧げている。

屋敷しもべ妖精を使っているのは、邪悪な魔法使い一家だけではない。ホグワーツ魔法魔術学校もまた、奴隷制度に加担している。学校の大広間に用意されるごちそうは、屋敷しもべ妖精が作っていることが明かされるのだ。

ハリーの親友ハーマイオニーは当然ながら、こうした屋敷しもべ妖精たちの境遇に心を痛めている。しかし、この問題の複雑さを理解せず、ただ過度に騒ぎ立てる煩わしい活動家という描かれ方なのだ。

実に奇妙なことに、まともな扱いを受けている限り、屋敷しもべ妖精という奴隷がいることはまったく問題でない、というような含みがある。

よりによって匿名掲示板サイト4chanに書き込まれて拡散した投稿が、『ハリー・ポッター』シリーズの核心に潜む矛盾をずばり言い当てているのが面白い。その指摘によると、ハリーはヴォルデモート独特のファシズムと闘う意欲は十分にあっても、魔法界の根底にある不公平を変えようという気はまったくない。

この場合もまた、物語が進むにつれてより成熟したテーマを取り入れていることが問題になっている。大人の世界の複雑さを、子ども向けの冒険譚にうまく組み込めていないのだ。

私が思うに、この移行を原作よりずっとうまく成し遂げたのが『ハリー・ポッター』の映画シリーズだ。映画では、問題ある要素の多くを完全に切り捨てている。

『ハリー・ポッター』は一読する価値があるのか

一読する価値はある。ただし、読むべきは最初の3巻のみ。あるいは、第4巻まで読むのがいいだろう。

第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』、第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』、第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』は、児童向けの古典と呼ぶにふさわしい。

最初の3巻は、ホグワーツに潜む魔法の謎を解き明かしていて、ハリーとその友人が、あらゆる場所に秘密が隠されたホグワーツという、広大な脱出ゲームに挑んでいるような感じだ。

しかし物語が進むにつれ、魔法界の面白さは失われていく(ハリポタファンの多くは納得しないに違いないが)。

同種の本をお探しの方にぜひお勧めしたいのは、フィリップ・プルマン著『ダーク・マテリアルズ』3部作(『黄金の羅針盤()』『神秘の短剣()』『琥珀の望遠鏡()』)と、ル=グウィン著『影との戦い―ゲド戦記1』だ(ル=グウィンは、魔法学校を物語で描いた最初の作家であり、彼女が構築した世界と魔法体系は真に奥深い)。

ハリー・ポッターを熱烈に愛するファンたちにとっては、2027年に始まるHBOテレビシリーズによって、新しいハリポタものが提供されることになる。映画よりも原作に忠実とされているが、おそらく完全に同じということはないだろう。

forbes.com 原文

翻訳=遠藤康子/ガリレオ

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事