『ハリー・ポッター』原作の何が問題?
『ハリー・ポッター』シリーズは、1990年代後半から2000年代にかけて出版され、当時の雰囲気を色濃く反映している。
sometimes i feel like i’m not capable of writing fiction and then i remember jk rowling naming her one east asian student character cho chang, which sounds like two last names, the first being korean and the second chinese
— 兔兒神 (@chenchenwrites) May 5, 2020
魔法界における人種差別といった扱いにくいテーマが登場するし、名前の付け方も時に疑問の余地がある(ローリングの露骨な名前の付け方は、のちにミームになるなどしている)。
JK Rowling naming an Italian character. pic.twitter.com/OMF5gwNsOe
— No Context Brits (@NoContextBrits) July 3, 2025advertisement
JK Rowling naming a character from the Soviet Union pic.twitter.com/SuMO3NsbEL
— Towarzysz Patryk 🚩 (@Patryk87837486) July 19, 2025
SF・ファンタジーの有名作家で、著書『影との戦い―ゲド戦記1』でやはり魔法使いの学校を描いたアーシュラ・クローバー・ル=グウィンは2004年、『ハリー・ポッター』シリーズをこう評していた。「(同作の)対象年齢の読者にとっては良い作品だが、文体はありきたりだし、構想は独創性に欠け、倫理的にはかなり狭量だ」。
『ハリー・ポッター』シリーズを大人として再読してみると、ル=グウィンの言わんとしたことがよくわかる。『ハリー・ポッター』シリーズには、一方的に決めつける記述が多い。冒頭からして、太って醜い人物を登場させ、言葉を失うほど意地悪に描写している。
『チョコレート工場の秘密』で有名な英作家ロアルド・ダールと同様に、ローリングも、肥満を怠惰さや不道徳さの象徴として扱っている。登場人物のだぶついたお腹やお尻の肉の描写が延々と続けば、読者はその人物をどう評価すればいいのかがわかる。
魔法界の話は楽しいが、魔法の体系と魔法界の内部構造はとりたてて綿密には練られていない。はじめのうちは問題にならないし、作家全員が『指輪物語』の著者J・R・R・トールキン並みの構想力をもつ必要はない。しかし『ハリー・ポッター』シリーズでは、物語が深刻になるにつれてその甘さが目立ってくる。
同シリーズは全般的に見て、児童小説からヤングアダルト小説にうまく移行できていない。ハリーの敵役であるヴォルデモートは、シリーズ後半で描かれているような危険なファシストというよりも、ディズニー映画に出てくる、声の甲高い悪役に近い。
しかしローリングは、人を平気で苦しめる教師ドローレス・アンブリッジを登場させることで、真の悪とはどんな顔をしているのかを不気味なほど正確に描写し、読者に見せている。


