コンフォートゾーンを自らでることがイノベーターである。そう言われます。一方、居心地の良い時空間を獲得するのがラグジュアリーである、とも思われています。それならば「イノベーターはラグジュアリーな経験を拒否する人間なのか?」という問いがでてきます。これを今月のテーマとしましょう。
これを素材にしようと思ったのは、ファッションデザイナーのマリア・カルデラ―ラさんとコンテポラリーアーティストの廣瀬智央さんがコラボレーションをした展覧会をミラノのギャラリーでみたからです。
二次元と三次元を比較した場合、三次元を二次元よりも優等のものとみなしやすい。二次元は平面であるがゆえに多角的な見方に到達できない劣等な位置にあると考えられる。しかし、こうした見方が実は凡庸なのではないかと展覧会では問われた気になったのです。
カルデラ―ラさんはアートコレクターでもあり、これまでもアーティストとコラボレーションしてきたファッションデザイナーです。そこで今回はカルデラ―ラさんのコレクションにも加わっている廣瀬さんに白羽の矢が立ちました。見るところ、廣瀬さんが撮り続けてきた空、あるいは貧しさと豊かさの二重の象徴として使われてきた豆などがファッションのモチーフとして暗に明に使われています。しかし、本稿においては二次元と三次元にフォーカスします。
洋服は立体的であることが必要な要件であり、和服は平面的なのを特徴としてきました。よって洋服は宙づりのようにするか、マネキンに着せるのが見せ方として正統派とされてきました。壁のフックに服を直接かけるか、針金のハンガーに服をかけるのは「とりあえず」の姿です。しかし、カルデラ―ラさんはあえて、その仮の姿という選択をしたのです。二次元と仮の姿をダブらせ、とても軽やかな世界観を表現しています。
ただ、少々突っ込んで書けば、一見、カジュアルを軽やかと言い換えて、ぼくはぼく自身を説得していないか? これは何かをすり替えていないか? という気持ちを一瞬抱かないでもないです。
最近、それなりに高いホテルに泊まるとレセプションのスタッフがスーツではなくTシャツを着ており、チェックイン作業するPCもカウンターではなくテーブルにあるスタイルに遭遇することが増えました。海辺のリゾートホテルではなく都会のホテルです。「お客様」より「〇〇君」とでも呼びそうな雰囲気です。こうしたところにあるカジュアルさは軽やかとは違います。「軽やかさ」は軽いけど芯があり深みがある。



