コンフォートゾーン、私には耳が痛い言葉です。
コンフォートゾーンとはCambridge Dictionaryによれば、「自分が居心地良く感じ、能力や決意が試されていない状況」だそうです。私は、外見とは裏腹にコンフォートゾーンから出ることが嫌いで、かなり内向な人間です。ですから、これまで学校でも仕事でも「コンフォートゾーンから出るべき」とやりたくないことを任されたり、行きたくない場所に行かされるたびに、むしろ逆に「守りの体制」に入り、早く安全な場所へ帰りたいとばかり思ってきました。
だからこそコンフォートゾーンの外には、「知らないうちに」出てしまったというルート以外の到達方法を知りません。面白そうだな、楽しそうだなと思って没頭していると、気づいたら「途中下車できない片道運行の電車のなかだった」というような感覚で、コンフォートゾーンの外に出てしまっている。それから焦ってどうにか乗り切るパターンが多いです。
例えば私が留学を決めた時、祖父が「まさかお前が」とえらく驚いていたことを鮮明に覚えています。祖父は私の書道の先生でもあったので、私が努力することや、困難に立ち向かうことにあまり熱心ではないことをよく知っていました。しかし私にとって「留学」は努力の向こう側ではなかったのです。どうしても知りたい面白さが国境の向こう側にあった、それだけのことでした。
いざ行ってみると人生で味わったことのない困難と苦労が立ちはだかり、早く家に帰りたくなるのですが、その度にまた別の「ストレスや不安を忘れ、没頭できるもの」を見つけることで潜り抜けてきました。その連続でこれまでなんとか生きてきた気がします。
「知らぬ間に動かされていた」という意味合いのある言葉に、inspireがあります。日本語の会話でも「インスパイアされる」と使われますが、私がこの言葉に出会ったのは今から10年以上前のイギリス留学時で、講師や同級生がデザインの説明をする時に毎回必ず使っていました。私も見よう見まねでその言葉を使うようになりましたが、さまざまな文化圏の人と会話をしていくと、この言葉のイメージが微妙に違っているように感じ始めました。
この単語のイメージの違いはどこから来るのか気になって語源を調べてみると、面白いことがわかります。
inspireは近代英語ですが、その起源を辿ると、14世紀中頃のenspiren(心や魂を満たす、誰かに何かを促す)に行き着きます。これはラテン語inspirare(息を吹き込む)から派生した古フランス語に由来し、現在の「鼓舞する、興奮させる」という意味を持つようになりました。


