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2025.10.15 12:00

LGBTQ向けアプリ「Grindr」買収・上場でいかに1500億円の資産を築いたか? その内幕

2022年11月の上場時、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の外壁に自社バナーを掲出した。(Photo by Spencer Platt/Getty Images)

投資家としての原点、歯科医の父から学んだ資産形成

シカゴ郊外のシャウムバーグで育ったゼージはかつて、歯科医の父親による家族の投資ポートフォリオの管理を手伝っていた。10代の頃の彼は、フォーブスやウォール・ストリート・ジャーナルを貪るように読み、父親が注目していた約40社の株価の推移を手作業でグラフ化することに何時間も費やしていた。25年前に父親が亡くなって以来、母親はそのポートフォリオからの収益で生活しており、その中にはアップルやアムジェンといった米国の優良銘柄も含まれている。「父はいつもこう言っていた。“私は歯科医として毎日働いているけれど、投資のほうがずっと稼げる”と」と語るゼージは、大学時代からの恋人と結婚し、2人の子どもの父親となっている。

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イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でファイナンスと会計を学んだゼージは、卒業後にニューヨークのゴールドマン・サックスに就職し、ロサンゼルス勤務を経て、同社のシンガポール支店に配属された。その後2000年、30歳のときに米国のビリオネア、トム・スタイヤーが設立したファラロン・キャピタルに入社し、同社のアジア投資を担当。サンフランシスコとロンドンを経て、2年後にシンガポールへ戻り、アジア拠点の立ち上げに携わった。

その当時、「ゼージの我が道を行く思考と、財務諸表の脚注まで読み込む執念が印象的だった」と語るのは、その頃ゴールドマン・サックスで同僚だったアンドリュー・スポークスだ。現在はファラロンのエグゼクティブ・チェアを務める彼は、ゼージの几帳面な記録管理にも触れる。「彼は紙のファイリングシステムを信奉していた。デスクの上も周囲も、数十センチの高さに積み上がった目論見書や調査レポート、メモなどの紙の山で埋め尽くされていた」とスポークスはメールで語った。「一見するとまったくのカオスのようだったが、彼は数カ月前の重要な書類がどこにあるかまで正確に把握していた」。

ファラロン時代の実績、金融危機後の企業再建で磨いた手腕

ファラロンのアジア担当として、ゼージは不良資産の買収や再建に手腕を発揮した。アジアの金融危機の影響を被った企業や家族経営の事業主と協力し、「崩壊したすべてのピースを拾い集める手助けをしてきた」と彼は振り返る。「だから私の投資スタイルは当初から、人と協働し、壊れたものを修復しようとする、あるいはチャンスを見出そうとする方向に自然と向かっていったんだ」。

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キャリアを決定づけたBCAへの投資、アジア金融危機後の大きな成功

ゼージが手がけた数々の大型案件のほぼすべてを、債券と株式を組み合わせた投資が占めていた。その代表例が、2021年にEC大手Tokopediaと合併する以前のインドネシアの配車アプリGojek(ゴジェック)、ビリオネアのフォレスト・リーが創業したシンガポールのGarena(現Sea)などへの投資だ。だが、なかでも彼のキャリアを決定づけたのは別の取引だった。インドネシアの中央アジア銀行(BCA)への投資は、「当時のインドネシアにとっても、私自身のキャリアにとっても本当に画期的な取引だった」とゼージは語る。

2002年、アジア通貨危機の余波の中で、ファラロンはインドネシアのビリオネア兄弟R・ブディ・ハルトノとマイケル・ハルトノが率いる中部ジャワ拠点のジャルム・グループと組み、英スタンダード・チャータード銀行を抑えて、インドネシア政府からBCAの株式51%を5億4000万ドル(約821億円)で取得した。ファラロンはその後、巨額の利益を得て持ち分を売却し、BCAは時価総額でインドネシア最大の銀行へと成長した。現在、ハルトノ兄弟の保有する過半数株式は、2人合わせて380億ドル(約5.8兆円)にのぼる資産の中核を占めている

ゼージはその後も次々と案件を手がけ、バンコクの都市鉄道の一部を運営するBTSグループ・ホールディングスや、インドネシア最大のセメント会社Semen Indonesia(Persero)などに投資した。こうした取引を通じて地域の大物たちからも注目を集めたゼージは、2000年代半ばに、マレーシアのビリオネアで「伝説的経営者」として知られるロバート・クオックと5時間にわたって面会した。

独立後の新たな挑戦、現在の投資哲学

その後、ゼージはファラロンを離れ、自らの会社ティガを設立した。社名のTigaはインドネシア語で「3」を意味し、彼にとってキャリアの“第3幕”を象徴しているという。彼は、その頃にはすでに拠点をシンガポールに移しており、2006年に永住権を取得、4年後には市民権も得た。「自分の人生の基盤を本気である国に置くなら、いつかはその国の一員になるべきだ」と語るゼージは、現在シンガポール経済開発庁(EDB)の投資部門のアドバイザリーボードにも名を連ねている。

スポークスによれば、ゼージは独立を経て「ファラロン時代なら見送っていたかもしれない、リスクは高いが知的な投資を実行できるようになった」という。ゼージによると、ティガはこれまでにアジアと北米を中心に約12社へ投資しており、その多くがグローバルに事業を展開している。そこには米国を拠点に航空空域の安全確保に向けたドローン検知技術を手がけるWhiteFox Defense Technologiesや、スマートフォンメーカーのシャオミ、OPPOと提携しロックスクリーン技術を展開するシンガポールのCosmose AIなどが含まれる。

直面する逆風、インドでの事業停止や空売り投資家の標的

ゼージは「これまでの道のりにはいくつかの障害もあった」と認める。最近では、インドのファンタジースポーツ企業Dream11への投資が8月に行き詰まった。「政府がオンライン上のマネーゲーム関連の事業をすべて停止させた。大きな打撃だった」とゼージは語る。「ただ、事業そのものが消えるとは思っていない。ビジネスを再構築し、別の収益源を見つける必要があるだろう」。

また9月には、Grindrが空売り投資家のNingi Researchの標的となった。同社は、Grindrが積極的な収益化戦略を追求していることが、長期的には事業基盤を損なう恐れがあるとする複数の指摘を含む報告書を発表した。これに対しGrindrの広報担当者は、これらの報告内容が「不正確だ」と否定し、「当社のビジネスには確固たる自信を持っている」とコメントしている。

やがて大木に育つドングリ

ティガを通じて長期的な株式投資へと軸足を移したことにより、ゼージはより個人的な関心にも時間を割けるようになった。その一例が、米国最大のワインオークション会社ハート・デイビス・ハートへの少額出資で、彼自身が希少なワインの世界に浸るきっかけにもなっているという。ティガのポートフォリオの大部分は、出資比率が10〜30%の中規模案件で構成されている。「これらはやがて大木に育つドングリのようなものだ」とゼージは語った。

forbes.com 原文

翻訳=上田裕資

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