筆者が訪れた際には、アフリカ各地とブラジル出身の女性アーティストに焦点を当てた展覧会が開催されていた。なかにはビエンナーレにも参加するリディア・リスボーア(Lidia Lisbôa)のクロシェ作品や、ジェ・ヴィアナ(Gê Viana)のコラージュ作品も。南アフリカ出身のガブリエル・ゴリアス(Gabrielle Goliath)は、同国で6時間に1人の割合で女性がドメスティック・バイオレンスの犠牲になる現実を、衝撃的なサウンドインスタレーションで表現した。
施設全体は多様な年齢層の市民で賑わい、芸術文化に触れながら居場所を見出す「オアシス」といった雰囲気を漂わせていた。歯科やスポーツ施設などのわかりやすい健康サービスと、芸術文化プログラムが同等に扱われ、市民のウェルビーイングを包括的に支える仕組みが実現されている。芸術文化が社会インフラの一部として日常に根付いているような光景が見られた。
社会の「普通」を問い続けるアート
現代アートには、人々を巻き込みながら価値観や意識を変えていく力がある。人類の営みをテーマにしたサンパウロ・ビエンナーレで示された数々の作品は、国境や大陸を越えて交わる関係性そのものを通じて、社会や生態系の多様性をどう捉えるかを問いかけた。これは社会の「普通」や「普遍的な正しさ」は存在せず、常に新しい関係が生まれ続けていることを意味し、両義的な考えに固執せず、矛盾やあいまいさをも受容することへの誘いでもある。
こうした感覚は、一つの社会に属さずに旅をするものにとっては、直感的に理解できるものかもしれない。現代アートは、作品とその背後にある物語を媒介に、鑑賞者をさまざまなコミュニティへと接続する「旅」と表現できるかもしれない。分断が深まる世界において、アートは共感を育む装置であり、私たちの日常に欠かせない社会的インフラともなりうる。
そして重要なのは、ただ公共空間に作品を置くことではなく、アートを介して思考や感覚を共有し合う対話の場を持つことだ。サンパウロ・ビエンナーレのような国際的な芸術祭は、まさにそうした対話や議論を育む場として、大きな役割を担っている。


