アート

2025.10.12 08:45

門司港と黒田征太郎 街に溶け込むアーティスト

黒田征太郎はずっと描き続けている──大阪、六本木、沖縄、韓国、ニューヨーク、上海、南極、そして門司港──黒田は場所を変え、移動を繰り返しながら、どこででも描いてきた。私が前回取材をした2年前も描いていたし、例えば今回の取材中もこんなことがあった。

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皆が日中に展覧会の準備で出払っている間、黒田は一人アトリエにこもった。夕方頃に関係者が戻ってくると、いつのまにか1メートル四方はあろうかという新作の絵が出来上がっていた。「みんなが俺のためにがんばってくれているのに、俺が何もしないのが情けなくて」と黒田はつぶやいたが、私はその仕事の速さと熱量にただ驚くしかなかった。

黒田がこれまで描いた絵は20万点を超えるとも言われている。現在開催中の北九州市立美術館での展覧会では、旧知の新井敏記(スイッチ・パブリッシング)監修のもとに選りすぐられた作品が展示されている。

冒頭の田代商店の主人も言うように、美術館という空間で展示された黒田の絵は、門司港の街で出会う日常の延長線上の絵とはまた異なった印象を受ける。K2※7時代のシルクスクリーン作品などは、昨今まとめて展示される機会もなかったはずで、今回は一覧できる貴重な機会といえるだろう。

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K2時代のシルクスクリーン作品。シルクスクリーンならではの鮮やかな色彩表現が目をひく
K2時代のシルクスクリーン作品。シルクスクリーンならではの鮮やかな色彩表現が目をひく

黒田は自らが描いた絵のことを「絵のようなもの」と呼ぶ。それは、自身が正式な美術教育を受けていないからかもしれないし、教科書的な文脈での「絵画」というものに疑念を持っているからかもしれない。

「最初に風があって音楽が生まれ、虹があって絵が生まれた」。これは、黒田が折に触れて口にする言葉だ。その言葉通り、黒田が描く絵はときに生々しく剥き出しで “絵が生まれた瞬間の絵”があるとすれば、こういった絵ではなかっただろうか。

太古の昔に虹を見て感動した人間が「絵のようなもの」を石に描いたとして──黒田はいまもってその人間と同じようなハートと初期衝動で、ひたすら絵を描き続けているように思える。

門司港の立ち飲みカフェバーcafuné coffee standにある壁画。「最初マジックで描いて、後日ボールペンで書き足したんですよ」と教えてくれたのは店を預かるアツシさん
門司港の立ち飲みカフェバーcafuné coffee standにある壁画。「最初マジックで描いて、後日ボールペンで書き足したんですよ」と教えてくれたのは店を預かるアツシさん

先日、黒田は『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)に出演し、司会の黒柳徹子と絵を共作するという一コマがあった。それは何もテレビ用の特別な演出ではなく、黒田の門司港での日常的な光景と何ら変わりはない。

気が向けば訪れた店で絵を手渡し、ときには壁にも描く。直接会えない遠くの友人知人には、郵便局員と仲が良くなるほどの頻度でポストカードを出し続けている。黒田が日々実践する絵を人に贈るという行為は、言葉を補う、あるいは言葉に替わる黒田流のオルタナティブなコミュニケーション術なのだ。

「走りながら壊す人」——ある人は黒田をこう評したという。その言葉通りというべきか、黒田征太郎はいまもなお、止まることを知らずに走り続けている。そして、きっといまこの瞬間も絵を描いている。あるいは食べて飲んでいる。門司港の明かり灯るどこかで。

※1 開催は2025年9月20日〜11月9日。
※2 1918〜1974年。独特なタッチと色彩で子どもを描いた女性画家。水彩やパステルの作品で著名。
※3 言うまでもないが許可をとったうえでである。
※4 小倉駅近くのリバーウォークという施設に北九州市立美術館の分館があった。現在は休館中。
※5 スイッチパブリッシングが刊行する雑誌。2004年創刊。
※6 “青リンゴ”は建築家の安藤忠雄が好んで用いるモチーフ、シンボル。青春のメタファーでもある。
※7 長友啓典と黒田征太郎のデザイン・ユニット。長友啓典は黒田征太郎のよき理解者で盟友であった。2017年没。

文・写真=長井究衡

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