アート

2025.10.12 08:45

門司港と黒田征太郎 街に溶け込むアーティスト


II

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「黒田さんのアトリエに行くとね、なんだか心が軽くなるんだよね。いつも新しい作品があって、風景が変わっている。70歳も過ぎると、俺もときどき塞ぎ込むようなこともあるんだけど、ああ生きていると実感するし、俺もがんばんないとってなるよね」と、黒田と親交の深い眞鍋真三さんは語る。眞鍋さんは、2002年に小倉のバーで黒田と出会ってから、北九州小倉という街のいわば水先案内人となった人物だ。

その頃の黒田は、炭鉱夫でもあった父親の影を追って、流れ着くように小倉に来たばかりだった。今はなき地下のバーの片隅で、黒田は毎晩のように絵を描いていたのだという。
「黒田さんの絵は雨ざらしでも、そこら辺に転がっていてもいいんですよ。“こうあるべき“という時代へのカウンターカルチャーでもあるんだから。いわば人間の反撃だよね」

黒田のアトリエの壁
黒田のアトリエの壁

その眞鍋さんから引き継ぐように、現在黒田がアトリエを構える門司港の案内人となったのが池上貴弘さんだ。池上さんは門司港を拠点に活動するアート団体MAP(門司港アート・プラットフォーム)の主宰者でもある。

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「小倉から門司港へのバスでたまたま黒田さんと一緒になったんです。そこで意気投合して」「黒田さんは、自分が自然と持っていた感覚や価値観と近い気がしたんです。例えばなんでも美味しく食べたり、飲んだりするところとか」と語る。確かに黒田は、いつも「うまいうまい」言いながらつまみを口に運び、酒を飲む。

池上さんは大変な蔵書家だが、池上さんの書庫の壁にも黒田は絵を描いている。「図書館といえば、安藤忠雄やな」と言いながら黒田は青リンゴ※6を描いたのだという。

池上の私設書庫にて。背面には安藤忠雄へのオマージュである青リンゴ
池上の私設書庫にて。背面には安藤忠雄へのオマージュである青リンゴ

III

黒田は食べ物にこだわりがないのと同じように、絵の道具にもこだわらない。描く素材も一般的なキャンバスや画用紙だけでなく、段ボール、ホテルのメモ帳、木片、石、靴、100円ショップで買ってきたものなど、いわば何にでも描く。

ただクレパスだけはスイスの “カランダッシュ”を好んで使うと聞いたことがある。それには理由があって、憧れるピカソが使用しているのをかつて写真で見かけたからだそうだ。

「ときどき黒田さんから、この道具はどうやって使うの?なんていうことも聞かれますよ。でも黒田さんにとって道具はあくまで道具。なんでもいいっていえばそうなんです」「いや油は使わないんじゃないかな、アクリルだと思いますよ」と語るのは、九州画材の藤井一郎さんだ。

小倉に店舗を構える九州画材は、画材の供給や額装で長年地域の学校や美術館にも貢献してきた。「ちょうど今も頼まれて、黒田さんの絵を額装しているところです」

九州画材の藤井一郎さん。お店は小倉駅からすぐ近くの京町にある
九州画材の藤井一郎さん。お店は小倉駅からすぐ近くの京町にある

山本千聖さんは、黒田と同じ建物内にアトリエを構える服飾デザイナーだ。今回の展覧会では、トートバッグやキャップなどのグッズ制作を手がけた。いくつか試作品も含めて見せて頂いたが、どれも黒田のイラストを山本さんの感性で落とし込んだキッチュなアイテムだった。

黒田の魅力について改めて尋ねると「作品自体もそうですけど、ずっと変わらずに絵を描き続けている、その姿勢自体が何よりも凄いと感じます」と答えてくれた。

山本さんは数年前に、黒田の作品整理を手伝ったことがあった。その際「これを本当に一人の人間が描いたのだろうか」と疑いたくなるほどの膨大な作品量に驚いたという。

服飾デザイナーの山本千聖さん。田代商店の壁を背にして。絵は黒田によるもの
服飾デザイナーの山本千聖さん。田代商店の壁を背にして。絵は黒田によるもの

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文・写真=長井究衡

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