アート

2025.10.12 08:45

門司港と黒田征太郎 街に溶け込むアーティスト

「イェーイ! 人間一人じゃ何にもできません! ね、みなさん、そうでしょう?」黒田征太郎は、自作の大きな船の絵の前で声を張り上げた。86歳になろうと、自身初の大規模展覧会であろうと、黒田征太郎はいつもの調子と何ら変わりがない。開幕初日に集った観客が拍手を送るなか、「黒田征太郎展 絵でできること」(北九州市立美術館)※1はこうして幕を開けた。


かつて東京の青山に伝説的な珈琲店が存在した。店主が店を構えるにあたって青山という地を選んだのは、憧れだけではなく「個人が個人でいられる街だと感じた」からだと聞いたことがある。店主の直感が当たったというべきか、その珈琲店は、長い間にわたって青山というどこか独特の空気をまとった街に愛され続けた。

店を開くのではないにしても、人がどこで暮らし働いていくのかというのは、生きる上でとても大切な問題だろう。多くの人が、一度くらいは人生の節目で悩んだことがあるのではないだろうか。

ところがやっかいなのは、例えばある人が偶然訪れた街を気に入って住んでみたとして、街がその人を受け入れるかどうかは、また別問題であるということだ。

いざ憧れの街に引っ越しをしてみたら「どこかしっくりこない」「想像していたのと違う」というようなことも十分あり得る。

「街」もまた生きもので、人と同じように相性というものがあって、それを確かめるには実際に時間をかけて住んでみないとわからない。

門司港駅のカフェから。週末は多くの観光客で賑わう
門司港駅のカフェから。週末は多くの観光客で賑わう

九州福岡の端に門司港という駅があり、イラストレーター黒田征太郎のアトリエもここにある。門司港駅はいわゆる終着駅、ターミナル駅で、門司港に近づくと英語のアナウンスで「final destination〜」と流れるから、地の果てに来たわけでもないのに、毎回何だかどきっとさせられる。

観光客でにぎわう駅前のレトロな街並みから離れ、地元民に親しまれる飲食店を訪ねると、思いがけず黒田征太郎の絵に遭遇することがある。そのほとんどはプリントや複写ではなく直筆で、ときには壁に直接描いてあったりするから、初見の人は少し驚くかもしれない。
私も門司港を初めて訪れたときは「何の絵だろう?」と思ったりもしたが、店の人やご一緒した人に黒田征太郎の絵だと教えられたりして「あ、ここにも」「あそこにも」という風に発見していった。そして、次第にそれらの絵は街の一部になり、当たり前の風景となっていった。

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文・写真=長井究衡

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