真正性(Authenticity)はいまや、リーダーが持つ特性として最も高く評価されるものの一つだ。人々は、「ありのままの自分を職場に持ち込む」こと、自らの価値観や感情、弱さを包み隠さずに人の上に立つことを求められている。こうした変化により、リーダーはより人間らしくなった。そして、時代遅れのヒエラルキーは崩れ去った。
それでも、良い理念の多くがそうであるように、時には「やりすぎ」になることもある。真正性を貫こうとするあまり、常識的な判断がおろそかになると、逆効果になる可能性があるのだ。個人的な信念や感情的な反応など、何もかもを共有すればいいわけではない。リーダーが「完全に透明であること」を道徳的な義務にしてしまうと、チームのよりどころである信頼や明快さが揺らいでしまうおそれがある。
従業員はリーダーに対し、真正であってほしいと願うと同時に、安定感も求めている。真正性も、見境ないレベルになると混乱が生じる。リーダーが、自らの疑念や不満、個人的な問題を過度にオープンにすると、その感情的な負担を部下に押し付けることになりかねない。信頼を育むどころか、逆に不安を招き、心理的な安全性がむしばまれる可能性がある。
真正性が最も効果を発揮するのは、選択的かつ意図的に用いられたときだ。真正性は、リーダーの価値観を理解してもらったり、信頼を構築したりするために役立てられるべきであって、リーダー自身の自己表現欲求を満たすために用いられてはならない。
違いは、意図的かどうかにある。チームのためになるよう自分の胸の内を明かすことと、自分の負担を減らすために胸の内を明かすことは別物なのだ。
その違いを判断するために役立つのが、次のような問いかけだ。「このことを打ち明けたら、チームはもっと効率的に仕事を進められるだろうか。それとも、単に自分の気持ちがラクになるだけだろうか」。この問いかけをフィルターにすると、真正性は、衝動的なものから戦略的なものへと変わる。
「過度な率直さ」が信頼性を傷つけるのはなぜか
リーダーが直面する一つの矛盾は、フィルターなしで徹底的に率直さを貫いていると思われると、信頼に傷がつきかねないことだ。懸念や不満を抱くたびにそれを口にするようなリーダーは、動揺しやすい人だとか、自己中心的だとみなされてしまうおそれがある。たとえ正直であろうとした場合でも、そう思われることがある。
印象管理に関する研究では、人はリーダーを真正性だけでなく、一貫性を基準に評価していることが明らかになっている。チームは仕事をする上で、「予測できること」を頼りにしている。しかし、リーダーの感情の揺れが極端だと、どう予測すべきかがわからなくなってしまう。このような不確実さは、透明性に欠けた場合よりも、信頼性を傷つける可能性が高い。
胸の内を過度に共有すると、境界線も曖昧になる。リーダーが個人的な悩みを、何の説明も文脈もなく明かすと、従業員側は、リーダーがそうした精神状態にあるのは自分のせいではないかと責任を感じてしまうことがある。これによってサポート関係が逆転すると、不安や当惑が生まれる。親近感が増すどころか、役割が混乱してしまうのだ。
だからといって、リーダーは自身の人間らしさを隠すべきだと言っているわけではない。大事なのは、人間らしさを表す方法をうまくコントロールすることだ。成り行き任せではなく、感情をきちんと整理した上で共有すれば、自分の弱さを見せつつ信頼を維持することができる。自分の内面をさらけ出すとともに、その先に向けた明確な計画を示すことも効果的だ。



