当初から私たちが着目していたのは、単に技術を見せることだけではありませんでした。工場を「見せる」ことで、そこで働く人や会社自体が変わり、結果として会社が強くなるのではという直感が働いたのです。この直観は、墨田区が昭和60年から進めていた「小さな博物館」という区内の産業や文化に関連する貴重なコレクションを博物館形式で公開する取り組みから得た学びと重なりました。個別それぞれの企業の場所が小さながミュージアムのように街の魅力になっていく様子を見て、自分たちのオープンファクトリーが今後、新たな地域産業の活性化の可能性を広げてくれると確信したのです。
すぐさま企画を立ち上げ、ゼロ予算でもできる開催方法を模索し、八尾、門真、尼崎の企業12社で関西大学の梅田キャンパスと連携し、「ものづくり体験CAMP」という前進の事業を小さく立ち上げました。

なぜ成功したのか──情緒的価値の探求へ
プロジェクトを成功に導いた最大の要因は、従来の産業政策からの転換でした。
経産省のプロジェクトとして各地の工場を巡る中で、重要な気づきを得たのです。それは、工場を訪れる目的が「技術(テクニカル)」を見に行くことではなく、「人(ヒューマン)」に会いに行くことだということでした。
当時の近畿経済産業局では、この考え方を「ヒューマンビジット」と名付け、技術やクラスター(産業集積)といった従来の政策領域から、コミュニティ、モチベーション、熱量といった「情緒的な領域」へと軸足を移行したのです。地域を元気にするには、この情緒的な価値を直接見に行ってもらう、またはそれに触れてもらうという転換に繋がりました。

この「情緒的な支援」は、従来の経産省の政策(モノへの投資、技術支援など)とは異質であり、当初は理解を得るのが難しかったかもしれません。かくゆう私も、近畿経済産業局の時代に創業支援を担当した際に、「創業支援者がスキルアップしないと、良い創業支援はできない」と説き、全国の支援者が集まる勉強会を企画するなど、人材育成への支援に舵を切った経験がありました。
この取り組みは、行政の仕事は「結果」だけでなく、そのプロセスや関係性の構築そのものが重要であるという、新たな価値観を生み出したと今では思っています。

「みせるばやお」から「FactorISM」への派生。集客から分散とコミュニティの力
プロジェクトが具体化する中で、2018年8月に地域の仕事を魅せる場として共創拠点「みせるばやお」が誕生しました。当時、土日を中心に一日300人ほど集客していた「みせるばやお」の施設でしたが、この拠点の将来について議論していた際、木村石鹸の木村社長が語った言葉が、その後の方向性を決定づけることになります。
「みせるばやおが拠点としてなくなっても、まち全体が魅せる場になるのがゴールではないか」という問いかけです。
この考えは、奇しくも新型コロナウイルスのパンデミックによって加速されることになりました。コロナ禍で集客ができなくなったことで、私たちは「集中から分散・拡散型」へと戦略を転換したのです。
特定の場所に人々を集めるのではなく、まち全体を「パビリオン」として捉え、各企業がそれぞれの場所でオープンファクトリーを展開する「FactorISM」が2020年にスタートしました。
当初から行政区割で実施するのではなく、八尾市、門真市、堺市、東大阪市、柏原市といった地域を巻き込みながら、壮大な計画が動き始めました。中小企業1つひとつには広報を持てないけど、まちで1つの広報部を持とうという考えから、「まちのこうほうぶ」という事業名を決め、当時は、ムーブメントの名前を「FactorISM」と名付け、八尾のように、ものづくりが盛んなまちのものづくりの想いを世界に発信する体験プログラムとして誕生したのです。
この転換は、単なるイベント形式の変更に留まりませんでした。行政の都合で中止せざるを得ないリスクを回避するため、FactorISMでは、プロジェクトを「民主導」へと舵を切りました。行政は枠組みをつくり、広報支援に徹して、企業と一緒になって作っていくことの重要性を示しました。オープンファクトリーという曖昧で遊び心のある取り組みを通じて、行政や企業、市民が互いに協力し合う「ルール」を自然に作り上げ、新しい関係性を構築するコミュニティを形成していきました。


