中学飛び級とオンライン学習、父と選んだ特異な教育環境
旅はエントウィッスル自身の人生にとっても大きな要素だった。ニューヨーク州ベッドフォードでシングルファーザーに育てられた彼は、父が自宅のコンピューターで仕事をする姿を見てソフトウェアに関心を持った。そのため、学校生活は彼にとって邪魔に思えた。中学課程を飛び級したエントウィッスルは、複数の私立高校から全額奨学金のオファーを受けながらも、父を説得してオンラインで学業を終える道を選んだ。
エントウィッスルは「結局のところ、私は学校に行くよりオンラインで物を作りたかった」と語る。学校に行くことがどれだけ時間の無駄かを説明するプレゼン資料を作成して父を説得し、最終的に納得させたのだという。
レーシング活動と事故、背骨骨折からCoder起業へ
彼はその後、父の出張に同行して世界中を旅するようになり、アリゾナ州の著名なレーシングスクールのBondurant Racing Schoolにも通った。そして16歳のときにテキサスやインディアナのチームでフォーミュラのカテゴリーに参戦し、2016年にはフォーミュラ・マツダ全米選手権で2位に入賞した。
「将来はビジネスをやるつもりだったけど、あのときはとにかく楽しくて仕方なかった。ただし、プロのレーサーになるつもりはなかった。運転は上手だったけど、天才ではなかったから」と彼は振り返る。
エントウィッスルがレースから退いたのは2017年、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで事故を起こし、背骨を骨折したときだった。療養中に彼は、10代の頃からマインクラフトのサーバー構築で協力してきたアマル・バンドゥクワラとカイル・カーバリーとともにCoderの立ち上げに取りかかり、3人はその後すぐにオースティンに移って会社を設立した。
「会社を立ち上げた頃は、まだ背中にコルセットを着けていて、社員の採用面接では年齢を隠していた。フォーブス『30 Under 30』に取り上げられたことで、実はまだ22歳だったと知られ、社員から『待てよ、35歳じゃなかったの?』と言われた」とエントウィッスルは語る。
CEOとして活動していた間、彼は大学進学を断念した優秀な若手起業家に贈られるティール・フェローシップを受賞し、追加で5000万ドル(約75億円)を調達した。今やCoderはバンガードやゴールドマン・サックス、パランティア、ネットフリックスなどで100万人以上のエンジニアに利用されており、推定評価額は2億ドル(約300億円)を超える。エントウィッスルは23歳でシリーズBを完了するまで同社を率いた。
「私はその時点で、5年以上会社を率いていて、次に進むべきだと感じた」と彼は言う。エントウィッスルによれば、彼が共同創業者たちと等分したCoderの持ち分は、資金調達で希薄化した後に会社を去る時点で1000万ドル(約15億円)以上の価値があったという。


