ここまで技術革新が、人類の死へのアプローチをどこまで変え得るかを説明した。しかし最終的に重要なのは、テクノロジーがもたらす日々の幸福を、いかにコミュニティの力で増幅し、持続可能な社会を築くかという視点だ。
現代社会では、他人と直接コミュニケーションをとるよりも、スマートフォンやパソコンと向き合う時間のほうが圧倒的に多い人が増えている。テクノロジーが私たちの心身の健康を害している側面があるが、将来的にはテクノロジーの産物であるデバイスが脳や身体に組み込まれ、真の意味で人と一体化する可能性もある。
例えば、血糖値やインスリンの自動注入デバイスが糖尿病患者に使用されているように、将来的にはあらゆる寿命のリスクファクターがテクノロジーによって管理される時代がくるかもしれない。リアルタイムで提供される事前情報を元に、スマートグラスを通してよりスムーズなコミュニケーションが可能になるなど、自己管理の必要性が薄れる可能性も考えられる。不健康とされる生活習慣も、テクノロジーによって相殺される時代がくるのだろうか。
今後、人とテクノロジーと一体化が進むことで、むしろ私たちはディスプレイから解放され、より人間らしい活動に時間を費やせるようになるかもしれない。身体の自己管理がデバイスによって自動化されれば、私たちは健康維持の労力から解放され、本当にやりたいこと、例えば新しい学習や創造的な活動、人間関係の深化などに集中できる時間が生まれる可能性がある。
しかし、テクノロジーが長寿を実現する未来には一抹の不安もある。手塚治虫の『火の鳥 未来編』は、電子頭脳同士の争いが、人類滅亡へとつながった世界が舞台だ。行き過ぎた合理化が「人間らしさ」や「感情」そして「選ぶ自由」を失わせ、最終的にシステムそのものが自滅への道を歩む──そんなディストピアの未来が描かれている。
長く生きることができる時代だからこそ、その時間をどう生きるのか、何のために生きるのかが問われている。ロンジェビティテクノロジーが未来を明るく照らすか、それとも『火の鳥』が描いたような悲劇を引き寄せるのかは、私たちがどのように「生きたいか」を選びとることができるかにかかっている。
連載:SCRUM FOR THE FUTURE
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