ターニングポイントとなった京都議定書とパリ協定
江守教授の指摘は、第2次世界大戦直後から1989年まで続いた冷戦の終結が、気候変動への注目を促進したというもの。これ以降、国際政治は気候変動対策を加速させた。その過程で特筆すべきは、京都議定書(1997年採択)とパリ協定(2015年採択)だ。いずれも気候変動対策の歴史において重要なターニングポイントとなった。
「京都議定書の特徴は、先進国だけが削減義務を負い、数値が割り当てられて、未達成に際しての罰則があることです。1990年と比べて日本は6%、EUは8%、アメリカは7%の温室効果ガス削減目標が設定されました」
トップダウン的な性格を持つ京都議定書だが、アメリカの不参加、中国やインドなど途上国には削減義務が課せられていないと、実効性には限界があった。
「パリ協定ではまったく異なるアプローチが採用されました。すべての国が削減に取り組み、各国が自分で目標を決めるボトムアップな仕組みです。達成できなくても罰則はありません。この緩いかたちにすることで、途上国も含めたすべての国が参加する約束を取り付けたのです」
パリ協定が画期的であるのは、世界平均気温の上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く、できれば1.5℃に抑えるという長期目標に世界で初めて合意したこと。パリ協定を生み出したUNFCCCの締約国は198の国と機関で、これは国連加盟国の193カ国を上回る。つまり、気候変動対策は人類が全地球的規模で取り組む課題にまで認知されたということだ。しかし、江守教授は「最大の阻害要因が存在する」と予断を許さない。
「それはアメリカの政権交代です。クリントン政権で京都議定書の批准ができず、ブッシュ政権で離脱しました。そのため、パリ協定はアメリカの大統領令で対応できるように設計され、オバマ政権は参加。しかし、第1次トランプ政権で離脱し、バイデン政権で復帰、第2次トランプ政権で再離脱と、政権の政治スタンスが気候変動政策に強い影響を与えます」
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えもり・せいた◎東京大学未来ビジョン研究センター教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。1997年に国立環境研究所に入所。同研究所気候変動リスク評価研究室長などを経て、22年より現職。



