マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが、自伝『Source Code: My Beginnings』を刊行した(邦訳は2025年12月に早川書房から刊行予定、仮タイトルは『SOURCE CODE 私の始まり ビル・ゲイツ自伝 I』)。
この著作は、全3巻(予定)の第1巻に位置づけられており、この中でゲイツは、自身の幼少期から青年期までの時期を振り返り、その詳細を綴っている。
記述からは、その後の成功につながるゲイツの特質や、運に恵まれた状況を垣間見ることができる。ゲイツは間違いなく、並外れた才能、気力、集中力、野望、努力をいとわない積極性を持ち合わせた、類いまれな人物であり、これが同氏を多くの成果に導いた要因だったといえる。
加えて、優れたスキルを持ち、恵まれた家族を持っていた点も、自伝の記述から読み取れる。例えば父親は経験豊富な弁護士で、母親も息子の社会性を形作るのに大きな役割を果たした。こうした環境も、成功の可能性を高める土台となったはずだ。
以下では、この自伝の中から、特に興味深いポイントを紹介しよう。これを読めば、幼いころから抜きん出た数学の才能を持っていたゲイツが、コーディングに強い関心を示し、過剰なまでの集中力を発揮し、並外れたエネルギーを持ち、あえて人と違うことをする意志や責任感を持ち、ベストな存在になるためには仕事に身を捧げることをいとわない姿勢とやる気の持ち主だったことがわかるはずだ。
才能、関心、野心
自伝の序文で、ゲイツはこう綴っている。「長く複雑なプログラムを書くのに必要な論理力、集中力、スタミナが、私には自然に備わっていた」。また、幼いころから読書が好きだったという。9歳前後には、小学生から高校生向けの「ワールドブック百科事典」全22巻をAからZまで全巻読破したとのことだ。「近所の図書館で開かれた夏の読書会にやってきたのは、私以外は女の子ばかりだった」とゲイツは回想している。
数学に必要とされる論理力や合理的思考
また、子どものころから数学に関してトップクラスの才能を発揮していた。「ほどなくして、どんな問題でも、自分が他の誰よりも速く解けていることに気づいた」という。通っていた有名私立校のレイクサイド・スクールで、ゲイツは数学特進コースの試験を受けた。「私は並外れた好成績を出し、得点は、数学特進コースのほぼすべての生徒を上回った。つまり、8年生(中学2年生)にして、この地域の数学を学ぶ中高生の中で最高レベルに達していたということだ」。
ゲイツはこう主張する。「数学に必要とされる論理力や合理的思考は、あらゆる学科を学ぶために使えるスキルだった。知性には階層がある。数学の成績が、他の学科でもどれだけ良い成績を残せるかを決めるのだ」。
ビジネスへの強い関心
また、ゲイツは早くからビジネスへの関心も示していた。学校に提出する課題として、「ゲイツウェイ」と名付けた架空の会社に関するリポートを作成したこともあった。「これは、私が発明した冠状動脈の治療に関わるシステムを製造する会社だった。私のリポートでは、製造に関する要素を詳細に記し、さらに、製品を作るために必要な資金を投資家から集める方法についても、自分なりのアイデアを披露した」。
ゲイツは年少のころから、ひとかどの人物になりたいという野望を抱いていた。友人のケントと共に、「フランクリン・D・ルーズベルトやダグラス・マッカーサーなどの偉人の伝記を山ほど集め、読みあさった」という。「何時間も電話で話しては、こうした人物の生涯や、彼らが成功するためにたどった道筋を分析した。その熱意は、当時のほかの10代の若者が『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』(ビートルズの楽曲)の歌詞を読み解くのに費やしたのと何ら変わらないものだった」。
ソースコードに胸を躍らせる
ゲイツは、コーディングに並々ならぬ関心を抱いていた。1968年(13歳ころ)のこと、2年上の先輩だったポール・アレン(のちにマイクロソフトを共同創業)と共に、ある企業のシステムのトラブルシューティングを担当することと引き換えに、コンピューターを夜間や週末に無料で使わせてもらう権利を得た。その際にゲイツは、その企業がトップクラスのプログラマーを招聘していたことに気づいた。そこで2人はゴミ箱をあさり、捨てられていた「ソースコード」を見つけては、こうしたプログラマーが取り組んでいる事柄を垣間見た。
「私たちが見つけたのは、暗号のようなコードの羅列で、これが何をしているのか推察するには、リバースエンジニアリングが必要だった。だが、しわくちゃでコーヒーのしみのついたその紙は、私たちがそれまで見た中でも最も胸躍るものだった」。
開発プロジェクトを取り仕切る
しばらくしてゲイツは、アレンをはじめとする年長の友人たちと手を組み、給与計算サービスを自動化するプログラムの開発を請け負った。当初、年長者の仲間たちは、ゲイツは不要だと考えていたが、その後彼らも、ゲイツが必要であることを悟り、開発プロジェクトはゲイツが取り仕切ることになったという。
「私がその場を取り仕切る必要があった。そしてそうなったからには、無料でコンピューターを使える時間(彼らに与えられた報酬)を誰が手にするかは、私が決めることになった。私は時間の割り振りプランを編み出した。これは、誰が最もたくさん仕事をしているかという私の評価に基づいて、報酬を11分割するものだった」。



