恵まれた環境、家族の支援、タイミングの良さ、幸運
恵まれた環境に関して:「豊かな米国に生まれたことは、生まれについての宝くじが“大当たり”だったことのかなりの部分を占めている。そして、白人男性が有利になる社会で、白人の男性に生まれたことも幸運と言えるだろう」。
タイミングの良さや、他者の成果を礎にできる立場にあった点について:「技術者たちがシリコンの一片に小さな電子回路を集積する方法を編み出したころ、私はまだ、エイコーン・アカデミー(ゲイツが通っていた幼稚園)に通う、言うことを聞かないよちよち歩きの幼児だった」。そして、「別の技術者が、こうした集積回路は今後長い間、指数級数的に小型化していくと予測した時、私は小学校の、カフィエール先生が管理していた図書館で、本を棚に整理する役目を担っていた。13歳でプログラミングを始めたころには、アクセスする貴重な機会を与えられた大型コンピューターの内部で、シリコンチップがデータを保存するようになっていた。さらに運転免許を取得するころになると、コンピューター1台分の主要機能が、1つのチップに搭載できるようになっていた」。
家族から得られた支援について:祖母のガミは、「トランプゲームで鋭い読みを披露したのに加えて、高校生のころにはクラス総代を務め、才能あるバスケットボール選手であり、幅広いトピックに興味を持つ読書家でもあった」。さらに母親からは、能力の高い人が集まるコミュニティと交流し、つながり、学ぶ機会を与えられたという。「子ども時代を振り返ると、姉妹や私を、さまざまな人、特に大人と交流を持つ方向に押しやるパターンがあったことに気づく」。
のちにマイクロソフトになる企業を立ち上げた時の状況:「この年(1975年、19歳時)の夏は結果的に、私が両親の家で過ごした最後の時期となった。今振り返って考えると、マイクロ=ソフト(アレンと共に立ち上げた当初の社名表記)の初期に、私の家族が果たした役割について、当時よりはるかに大きな感謝の念がある。当時の私は生意気にも、『誰からの助けも得ていない』と思っていたが、実態はというと、家族から物心両面で支えてもらっていた。会社を立ち上げた1年を通じて、私はフッド運河沿いにあった祖母のガミの家にたびたび引きこもり、大いに必要としていた、じっくり考える時間を持った」「父もいつもそばにいて、法的問題に対処する手助けをしてくれた」。
やる気をかき立ててくれた教師たちについて:「(小学生時代の)ある日、カールソン先生は、廊下の先にある図書館へと私を連れて行き、そこの司書に、私がやりがいのある課題を必要としていると伝えた」。この時、司書のカフィエール先生は、ゲイツに本を棚に戻すというタスクを与え、「その時読んでいたものや、興味を持ったことに関する質問を投げかけて、私が話しやすい雰囲気を作ってくれた。ここでも、カフィエール先生は私を肯定し、その上で私の当時の知識を上回るレベルの本や、有名人の伝記、私が思いもしなかったような発想を提案してくれた」。
「レイクサイド・スクール時代の先生たちは、“異なる視点”という贈り物をくれた。つまり、自分が知っていること、真実だと思っていることに疑問を抱くことが、世界の進歩につながる、ということだ」。
自分を支えてくれた友人たちについて:親友のケント・エバンスが、高校卒業前に登山中の事故で亡くなった時について、ゲイツは以下のような言葉を書き残している。「彼と知り合った時、私は13歳で、荒削りな知力と負けん気の強さはあったものの、その時プレイしている“ゲーム”に勝つこと以外はほとんど何も眼中にない子どもだった。ケントは、私が方向性を見定める後押しをし、目指す人物像に向かって進む道筋をつけてくれた恩人だった」。
経験豊富なメンターたちについて:高校生のときに書いたコードを親身になって修正し、もっと上を目指すよう発破をかけてくれたTRWのジョン・ノートンも、そうしたメンターの1人だった。「その時になると、私はコードや構文のことばかり考えるようになっていた。私以上にこれらのことを考えるのに時間を費やしている10代の若者は、おそらくいなかったはずだ。しかし、ノートンは私に、まったく新しいレベルを示してくれた。彼の着実な指導により、より良いコードを書くことだけでなく、自己認識に関しても、教訓を得ることができた。『このプログラミングについて、私はなぜこれほどまでに傲慢だったのだろう? 自分がそれほどまでに有能だと、なぜ思い込んでいたのか?』という疑問が脳裏に浮かんだのを、今でも覚えている。そして、『完璧に近いコンピューターコードとはどのようなものだろうか』と考えるようになった」。
世界中を見てもごくわずかな人しか使えなかった時代に、コンピューターの使用時間を確保できた、たぐいまれな幸運を得たことについて:コンピューターを使用できる時間を確保したゲイツは、夜も眠らずに家から忍び出て、プログラミング作業できる場所へ向かうバスに乗り込むのが常だった。
ゲイツはまた、いわゆる「1万時間の法則」にも触れている。これは、K・アンダース・エリクソンらの研究から導き出されたもので、専門的なスキルを身につけるには、1万時間(約10年間に相当する)の練習が必要という説だ。
ゲイツは、こう記している。「無料でコンピューターが使えるという幸運に恵まれなければ(その時代は、私にとっての『最初の500時間』と呼べるだろう)、残りの9500時間はまったく得られなかった可能性がある」。


