不祥事、炎上、人材流出、コンプライアンス、後継者問題──。経営者としてリスク管理を徹底するのは、多くの芸人を抱える芸能事務所のトップも同じ。幾多のピンチを切り抜けてきたタイタン太田光代社長のリスクマネジメント術と危機対応力、そしてワークライフバランスに迫る。
「私が社長になったのは、成り行きだったんですよ。でも、何も知らないからこそ良かったんじゃないかと思う」
ゆったりとした柔らかな口調ながら、太田光代の言葉は説得力を持つ。
「爆笑問題」を擁する芸能事務所タイタンの社長であり、太田光の妻でもある彼女。1993年にタイタンを設立してから早30年超。このほど上梓した著書『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(10月8日発売、文藝春秋刊)には、創業からこれまでに至る涙と笑いの日々が綴られている。
1990年、すでに人気を得ていた爆笑問題の太田光・田中裕二が同プロから独立後、彼女はマネジメントに奔走。「NHK新人演芸大賞」で大賞を受賞し爆笑問題の再ブレイクを確信した彼女は、二人の飛躍のために太田プロへの出戻りを願い出る。しかし、太田光の反対にあい、新たに事務所を立ち上げることに。こうして生まれたのが、タイタンだ。
彼女自身も元は太田プロに所属するタレントで、マネジメント経験はおろか会社員経験すらなかった。
「振り返れば、それが功を奏したんだと思うんです。 “こうあるべき”にとらわれず、恐れずに自分のアイデアを形にしていくことができたから」
爆笑問題の活動が軌道に乗り、他のタレントも抱えるようになると、太田は、2ヶ月に一度「タイタンライブ」を実施することを提案。観客に見てもらうことで芸を磨くだけでなく、メディア関係者を招いて売り込む狙いもあった。
「夢を語るだけでは人はついてこないし、私には夢を語っている暇なんてなかった。だから思いついたらすぐに動いて、銀座の一等地にあるホールを頼み込んで抑えたり、資金繰りに走り回ったり。それなのに、当初は肝心の芸人たちが乗ってこなかったんですよ。もうガッカリしちゃって」
しかし、今思えば反省する点もあると言う。
「みんなの心のまとめ方がわかっていなかったんでしょうね。自分だけで突っ走らずに、動く前の段階で自分の頭にある構想を少しずつシェアしておけばもっとスムーズに進んだのかもしれない」



