それを敢えて言葉にするならば、「全能感の落し穴」に陥ったのである。
すなわち、才能と意欲に溢れた若い経営者が、謙虚な気持ちを大切にし、周りの人々にも気を配り、 地道な努力を積み重ね、優れた業績を挙げていく。
その結果、周囲と世の中の評価も高まり、社会的地位も上がっていき、相応の権限や権力を手にしていく。また、多くの人々がこの経営者の意見に耳を傾け、部下や社員も自身の言葉に従うようになる。 そして、遂に、経営者としての「絶頂期」を迎える。
しかし、実は、この時代が、最も危うい時代。
なぜなら、この経営者が、「人間を磨き続ける」という修行を怠っていると、この「絶頂期」にこそ、「運気」が去るからである。そのため、予想外の出来事、ささいな出来事によって、経営や人生が躓くということが起こるからである。
だが、その「不運」と見える出来事は、実は、自らの「心の姿勢」が引き寄せたもの。
組織の権力を一手に握り、頂点を極めたと思う時代に、心に生まれる「全能感」。自分なら何でもできるという「錯覚」。心に忍び込む無意識の「傲慢」。結果として生じる「油断」。そうしたものが、恐ろしいほど「悪しき出来事」を引き寄せる。
経営の世界の、その「摂理」を知り、その「怖さ」を知るからこそ、昔から、真に優れた経営者は、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉を、心に刻んできたのであろう。
そして、それゆえ、経営の世界では、永く、この格言が語られてきたのであろう。
千人の頭(かしら)となる人物は、
千人に頭(こうべ)を垂れることが
できなければならぬ。
実際、若き日に薫陶を受けた、ある名経営者は、三千人の社員を預かる心構えを、こう語っていた。
十人の会社なら、経営は、難しくない。
百人の会社でも、全社員の顔を覚えられる。
しかし、千人を超える会社になると、
社員の後姿に手を合わせ、祈るしかない。
筆者が、過去の著作の中で、「日本型経営」の優れた精神を語り続けてきた理由は、日本企業においては、かつて、こうした言葉や心構えが、水や空気のように語られてきたからである。
そして、それゆえ、現在、二千名の教職員の人生を預かる立場にある筆者もまた、一人の経営者として、この言葉と心構えを胸に刻み、歩んでいる。
世を見渡せば、その絶頂において不祥事で座を追われる経営者もいる。しかし我々経営者は、それを興味で論ずるのではなく、すべてを「他山の石」とし、自らを省みる「鏡」として歩むべきであろう。
そして、そのとき定めるべき、覚悟がある。
地位や権力とは、素晴らしき仕事を成し遂げさせるために、天が、己に与えたもの。
その覚悟こそが、最高の運気を引き寄せる。
田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、21世紀アカデメイア学長。多摩大学大学院名誉教授。世界経済フォーラム(ダボス会議)専門家会議元メンバー。元内閣官房参与。全国8800名の経営者が集う田坂塾塾長。著書は『人類の未来を語る』『教養を磨く』など国内外150冊余。tasaka@hiroshitasaka.jp


