灼熱の江の島海岸だった。東浜には遊泳客に混ざって、帽子に長袖という日射対策の老若男女が集合していた。海岸をきれいに保とうというボランティアの人々だった。噴き出る汗をぬぐおうともせず、せっせと波打ち際や石段の縁でトングとビニール袋を携えながら、ゴミ拾いに精を出していた。子どもたちも無心に大人たちの作業を手伝う。SDGsやESGの標語など彼らには不要なのだろう。自然体そのものだった。参加している相撲力士に抱き上げられ、はにかみながら笑顔を見せる幼女に、この国の将来にほのかな光を見た思いであった。
昭和時代、海水浴ブームに沸いていた江の島海岸の波打ち際には、汚れたビニール袋や空き缶、大小のゴミが散乱していた。ビーチには無数のたばこの吸い殻や壊れたパラソルまで放置されていた。「東洋のマイアミ」という標語はギャグかと思っていた。平成以降の失われた30年間で経済成長は鈍化したが、環境意識は持続的に高度成長を続けている。
熱中症に用心しながら、ゆっくりと江ノ電(江ノ島電鉄)七里ヶ浜駅まで歩いてみた。途中の踏切はアニメの聖地として世界的に有名で、容赦ない強烈な日差しの下、海外からの旅行者が蝟集していた。
江ノ電は、私の前半生そのものだった。民家の軒先をかすめるタンコロ(一両編成の江ノ電の愛称)で幼稚園に通園し、小中学校時代には魚釣り道具を持って毎週のように乗車したものだった。東京の大学に通学するようになると、帰路、東海道線藤沢駅から最終の江ノ電を捕まえようとダッシュしていた。
実はそのころ、江ノ電は経営危機に直面していた。折からの車社会の到来とバス路線の整備が江ノ電の利用者を激減させたのである。廃線してバスに切り替えようという話まで出てきた。私の利用していた石上駅には無人の短いホームしかなく、古い木製のベンチは塗装が剥げて傾き、線路脇には雑草が繁茂していた。
そんな厳しい経営環境を救ったのが、今度は行き過ぎた車社会であった。幹線道路は大渋滞する。湘南地方はどこも道が狭く曲がりくねっているから、抜け道を使っても車の移動は時間がかかる。バスも時間が読めない。藤沢駅付近から江の島まで土日にはたっぷり1時間を要した。江ノ電を利用すれば15分ほどで済む。さらに沿線を舞台にした人気テレビ番組が江ノ電人気に火をつけた。湘南サウンドの流行も追い風になった。



