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2025.10.04 08:00

フェイスブックが彼を資産1500億円のビリオネアにした──ジム・ブライヤーの投資哲学

ベンチャーキャピタリストのジム・ブライヤー(Photo by Matt Winkelmeyer/FilmMagic)

ハンガリー動乱から米国へ、移民の両親のもとで育った幼少期

ブライヤーの幅広い関心は、幼い頃から芽生えていた。彼は、「フォーブス400」に名を連ねるほかの多くの富豪と同様に、移民として米国に渡った両親のもとで生まれた最初の子どもだった。両親は1956年のハンガリー動乱の際に祖国を逃れ、ウィーンで1年間過ごした後、父親がイェール大学の奨学金を得て米国に渡った。家族が米国に到着したときの所持金はわずか500ドル(約7万円)で、最初はニューヘイブンの葬儀場の一角に身を寄せた。その後一家はボストンに移り、両親はともにハネウェルで働いた。

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1979年、ブライヤーはスタンフォード大学に進学し、コンピュータサイエンスと経済学を横断的に学び、3年次にはイタリアのフィレンツェに留学して1学期を過ごした。卒業後はマッキンゼーで2年間働き、その後ハーバード・ビジネススクールに進学してMBAを取得。1987年に卒業すると、シティコープ出身のアーサー・パターソンとジム・シュワルツが2人で経営していたベンチャーキャピタル、アクセル・パートナーズに加わった。

その当時の目標は、起業家になることだったとブライヤーは打ち明けた。「ベンチャーキャピタルで数年働けば、多くの起業家と出会い、たくさんの事業計画を見ることができて、自分の会社を立ち上げるきっかけになると、完全に勘違いをしていたんだ」と彼は語る。しかし数年後、自分は経営者には向いていないと悟った。「私はそれ以来ずっと投資に打ち込んできた」

ザッカーバーグとの出会い、フェイスブックに賭けたアクセル時代

フェイスブックへの賭けは、その当時グーグルへの投資機会を逃し、ハーバード大学やプリンストン大学といった大口の機関投資家を失っていたアクセルにとってこれ以上ないタイミングだった。2005年、アクセルの若手プリンシパルだったケビン・エフルシーが案件を持ち込み、月曜のパートナーミーティングでマーク・ザッカーバーグが行ったプレゼンをきっかけに、投資チームは心を動かされた。

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デビッド・カークパトリックの著作『フェイスブック 若き天才の野望』によれば、契約をまとめたブライヤーは、ワシントン・ポストのドン・グレアムを出し抜くために、フェイスブックのチームを夕食に招き、上等なワインを振る舞った(当時21歳未満だったザッカーバーグには、スプライトが用意された)。この場で彼らの信頼を勝ち取ったブライヤーは、アクセルによる1170万ドル(約17億2000万円)の投資に加え、自らも110万ドル(約1億6000万円)を出資することに同意した。6年後、彼はビリオネアとなった。

現在64歳のブライヤーが、ベンチャーキャピタルの世界で独自の道を歩み始めたのは、フェイスブックへの投資から1年後の2006年のことだった。「ブライヤー・キャピタル」という投資会社を立ち上げた彼は、同社を通じてマーベルや21世紀フォックスといった企業に資金を投じた。アクセルとしては、これらは同社の中核であるテクノロジーやスタートアップ初期投資の対象外だったため、異論は出なかった。

ブライヤーは、サークルへの投資から1年後の2014年に、ほぼ30年務めたアクセルを離れ、ブライヤー・キャピタルを通じた自らの投資に専念するようになった。

息子たちとの新たな挑戦、妻との突然の別れ

2020年に彼は、海運会社フォアモスト・グループのCEOで元米運輸長官イレーン・チャオの妹でもある二番目の妻、アンジェラ・チャオとともに、友人のマイケル&スーザン・デル夫妻の勧めでオースティンに移住した。この年に彼は、前妻との間に生まれた2人の息子──現在30歳のダニエルと28歳のテッドをブライヤー・キャピタルのパートナーに迎え、きわめて活発なファミリーオフィスを築き上げた。

兄弟2人はまったく対照的なキャラクターだ。弟のテッドは幼い頃からお金に魅せられ、6歳のころに父親と一緒に証券口座を開き、ハーバード在学中には、誕生日祝いで貯めた金やアルバイトの収入を元手に暗号資産への投資を始めた。一方、子ども時代にスティーヴン・キングに夢中になった兄のダニエルはブラウン大学で歴史を専攻し、今年4月に初の小説『Smokebirds』を出版した。それは、極めて病んだビリオネア一家を描いた、暗くも痛快な作品だ。

そこで描かれるビリオネアの息子は、ビデオゲーム中毒のベンチャーキャピタリストで、VRやゲーム会社への一度の賭けで幸運を手にした人物だ。「これはとても内省的な小説なんだ。もし僕が違う育てられ方をしていたら、もし自分の最悪の側面や最も暗い思考が前面に出ていたら、どんな人間になっていただろう?──そう問いかけたかった」とダニエルは語る。

ただし彼は、自身の父が小説に出てくるビリオネア像とは全く違うと強調する。家族とともに、そして知的な起業家たちと一緒に働けることについて彼は、「僕らは地球上で一番幸運な人間だ」と語った。

だがジム・ブライヤーは、大きな悲劇に直面した。2024年2月の週末、彼の妻のチャオはテキサス州にある夫妻の牧場で、ハーバード・ビジネススクール時代の友人たちと女子会を開いていた。ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、友人たちが滞在していたゲストハウスから本邸に戻ろうとテスラに乗り込んだ際、彼女は誤ってギアをリバースに入れてしまった。そのまま車は池に落ち、彼女は命を落とした。

ブライヤーはこの事故について公の場で語ったことはないが、家族こそが困難な時期を乗り越えるための支えになったと話している。彼は、現在5歳になるチャオとの間の息子を、2人の家政婦の助けを借りながら育てている。「あの小さな5歳の子のために頑張り続けているんだ。自分が最高の父親であること、そして家族にとって最高の父でありパートナーであることを心がけている」と彼は語る。

ダニエルも「父は僕らを愛しているし、一緒に働くことを本当に楽しんでいる」と話す。

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翻訳=上田裕資

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