食&酒

2025.10.02 16:15

日本人向けにローカライズ 新宿中村屋が広めた中秋の名月の供物「月餅」

新宿中村屋で販売が始まった当時の月餅と中華まん

月餅を日本人向けにローカライズ

新宿中村屋といえば、政治学者の中島岳志さんの著書『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005年)で知られるように、「純印度式カリー発祥の地」である。

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だが、どうやらこの会社の歴史をひも解くと、インド式カレーやロシアのボルシチのみならず、中国由来の料理や菓子を早い時期から提供していたことを知ることになったのである。

新宿中村屋の古い営業案内をみると、インド式カリーやボルシチとともに、中国菓子や焼売が売られていることがわかる
新宿中村屋の1930年代の古い営業案内をみると、純印度式カリーやボルシチとともに、中国菓子や焼売が売られていることがわかる
新宿中村屋では、1960年代に同社の料理人が四川省を訪ね、本場での味を学び、1971年(昭和46年)に本格的な麻婆豆腐を提供している
新宿中村屋では、1960年代に同社の料理人が四川省を訪ね、本場での味を学び、1971年(昭和46年)から本格的な麻婆豆腐を提供している

新宿中村屋の歴史や創業者夫妻の個性的な人物像については、すでに多くの書物で知られている。

筆者はそのうち、『新宿中村屋 相馬黒光』(宇佐美承著、集英社、1997年)のような夫人の評伝や、その夫人が書いた「明治・大正文学史回想」という印象的なサブタイトルの付いた『黙移』(相馬黒光、初版1936年)、そして主人の相馬愛蔵が書いた『一商人として―所信と体験-』(1938年、岩波書店)などを読んで、明治生まれの人たちのドラマティックな人生や、海外の食文化を旺盛に取り入れる進取の精神、気質としてのおおらかさやきまじめさ、純情さに圧倒された。

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これらを読んだうえで、筆者は新宿中村屋の広報・CSR部に書面で問い合わせをした。なぜなら、前述の『一商人として―所信と体験-』のなかに「月餅の由来」という一節があり、中国を旅したときに現地で月餅を味わい、それを日本に戻ったときに彼の地の土産として売り出したのだという。

創業者夫妻の海外視察の旅について同社の広報担当は次のように説明してくれた。

「1922 年(大正11年)、夫妻は朝鮮を訪れました。京城を訪ねた後、ロシア文学を愛する黒光が『ロシアの匂いだけでも感じたい』と望んだことから、さらにハルビンへ足を延ばし、ここでロシアチョコレートを知り、後に販売しました。 
 
1925 年(大正14年)には中国を旅行しました。愛蔵の関心を最も引いたのは、北京城内の大市場でした。当時の中村屋は、近隣に開店した三越によって営業的に逆風にさらされており、愛蔵は小売店が百貨店に対抗する方策を模索していました。そのため、百貨店よりも賑わう市場の様子は大いに参考になったといいます」

そのとき、北京で出合ったのが月餅だったという。広報担当の回答は次のように続く。

「当地で知り合った日本人のラマ僧から『中国では8月15日の夜、"月餅"という菓子を月前に供え、親しい人々の間で贈答が盛んに行われている』と聞き、その風習が日本の習慣に似ていると感じたそうです」
 
帰国後、愛蔵が月餅を生産販売しようとしたときのエピソードは、筆者にとって実に興味深いものだった。

「中国から持ち帰った月餅は日本人の口にはなかなか合いませんでした。そこで『中国の月餅』を『和菓子としての月餅』に仕立てることにしました。改良を重ね発売したのが、1927年(昭和2年)でした。

発売当時は中国での風習にちなみ、8月(1カ月間)だけの限定発売でしたが、月餅の愛好者は増え、その後、1年を通して発売することになりました」(新宿中村屋広報・CSR部)

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文=中村正人 写真=新宿中村屋、中村正人

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