“空のモータースポーツ”とも呼ばれる『AIR RACE X』で、ディフェンディングチャンピオンのLEXUS PATHFINDER AIR RACINGは年間総合2位に終わった。
しかしその裏側では、技術者たちの執念による「年間1%の進化」が着実に実を結んでいた。4年越しのエンジンセンサー開発、クルマづくりの常識を超えたウイングレット投入。極限の挑戦が生んだ技術と開発者たちの成長物語に迫る。
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「年間1%の進化」を支えた、技術者たちの執念
「モノづくりで失敗するのが怖い」を乗り越えるために
挑戦戦のサイクルが、未来のクルマづくりにつながる
9月6日、『AIR RACE X』の2025年シーズン最終戦が、グラングリーン大阪とグランフロント大阪を舞台に開催された。観戦イベント「エアレース X 2025 積水ハウス 大阪うめきたデジタルレース in グラングリーン大阪&グランフロント大阪」では、AR(拡張現実)技術を用いたデジタルレースが繰り広げられ、同地を訪れた大勢の観客が自身のスマホを空に掲げ、白熱するレースの行方を見守った。LEXUS PATHFINDER AIR RACING(以下、LPAR)は、『AIR RACE X』のディフェンディングチャンピオンとして本シーズン最終戦に臨んだ。
しかし、有望視されていた連覇は叶わなかった。最終戦の準決勝、LPARパイロット・室屋義秀のライバルであるパトリック・デビッドソン選手(南アフリカ)に0.43秒の差で敗退。
決勝の結果によっては年間王者の希望も残されていたが、パトリックが決勝でも勝利を飾り、LPARは年間総合2位という結果で激闘の幕を閉じた。レース直後、LPARでテクニカルコーディネーターを務める中江雄亮は「もう、本当に悔しいです」と唇を噛んだ。室屋もまた、本シーズンをこう振り返る。
「昨シーズンに比べると、極めて混戦でした。我々ももう一段階上げないと、トップが取れないシーズンだったと思います」
だが、チームに悲壮感はなかった。敗戦の悔しさが滲む一方で、彼らの言葉と表情から伝わってきたのは、確かな手応えと次なる戦いへの静かな闘志だった。
LPARは準々決勝で唯一60秒台というコースレコードを叩き出すなど、機体の進化は誰もが認めるところだったからだ。
「自分たちが気づけてなかったことに気づくチャンスじゃないか」
レース後、開発チームのメンバーはテクニカルコーディネーターの中江にそう語ったという。王座を逃した結果は、彼らにとって新たな進化の始まりを告げる号砲に過ぎなかった。
「年間1%の進化」を支えた、技術者たちの執念
LPARが発足当初から掲げる目標のひとつに「年間1%の進化」がある。
それは、コンマ数秒を争うエアレースの世界において、途方もなく高い目標だ。今シーズンの進化を語るうえで欠かせないのが、初戦の苦戦をバネにラウンド2から急遽投入された新型のウイングレットだ。
ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ初戦で2位という結果に終わったことは、チームの闘争心に火を付けた。この悔しさを原動力に、開発を進めていた新型ウイングレットの投入を前倒しで決断。ラウンド2に間に合わせるべく、開発はLEXUSの"陸"(自動車)の常識では考えられないスピードで進められた。
ウイングレットの開発メンバーは「普通だったら、デザインレビューから設計、解析と順番に進めていく作業をすべて同時進行にして、毎日のように設計者と顔を合わせて話し合いを重ねました」と振り返る。
そして、チームの進化はウイングレットだけにとどまらなかった。これまで計測不能だったエンジン出力を可視化するエンジンセンサー、そして空気抵抗を極限まで減らすために開発された尾輪。これら複数の地道な技術開発が結実し、現時点での最高の機体が完成した。
特にエンジンセンサーの開発はチーム発足時からの悲願であり、4年越しの実現へと至った。エアレースではエンジンに直接的な改造ができないという制約があり、飛行中のエンジントルク(回転力)を直接計測することが困難だった。テクニカルコーディネーターの中江は、4年間プロジェクトの成果が出なかったことで一時打ち切りも検討したという。
しかし、開発メンバーの「絶対にできるからもう少しやらせてほしい」という熱意と、メンバーの主体性を信じて見守ることを決めた。その結果、LPARは「燃料を調整する調量機の開度を計測し、他に計測しているセンサーの数値と合わせて計算してトルクを導き出す」という新たな計測手法を見出し、技術として確立した。
さらに、空気抵抗の減少と軽量化を果たした尾輪は、小型化するための研究開発が行われた。尾輪開発チームは「タイヤの小型化と軽量化に加え、空気を受け流す形状のカバーをつけることで、さらに抵抗を減らしました」と話す。
可動するカバーを導入することで、風の向きに正対し、機体を安定させる「風見安定」という工夫が加わったのだ。
これらの地道な改善の積み重ねこそが、LPARが目指す「年間1%の進化」の正体だ。
「モノづくりで失敗するのが怖い」を乗り越えるために
技術の進化には、本業である自動車とは異なる、飛行機という未知の領域に挑むLPARの技術者たちの熱い想いがある。
普段はそれぞれの部署で自動車の開発に携わる彼/彼女らだが、LPARでは“一機のためだけ”に自分たちの技術と情熱を注ぎ込む。その過程には、普段の業務では経験できない苦労とそれを上回る喜びがあるという。
「LPARの活動でいちばん好きなのは、無理難題を振られるところです」と、ウイングレット開発チームのあるメンバーは笑顔で語る。レースという結果がすべての世界では、常に時間との戦いだ。
メンバーからは「ウイングレットの型をつくるための素材は、発注してから届くまでに2週間かかります。まず、その時間をいかに短縮するかというところからの挑戦でした」「普段の仕事では多少の日程調整なども可能ですが、レースは待ってくれません。決まった日程のなかでどう知恵を絞って対応していくかという経験は、自分のためになっています」といった声も上がった。
一方で、エンジンセンサー開発を担った計測チームが担う役割は、ものづくりチームとはまた異なる色合いをもつ。計測チームのモチベーションは、『今まで測れなかったことを測れるようにする』ことだ。
その挑戦には明確な基準も前例もなく、道筋は見えていない。だからこそ、想像力を働かせ、試行錯誤を重ねながら新しい道を切り拓いていく。少しの不安を抱えつつも、それを凌駕するワクワクが原動力だ。その探究心こそが、4年越しの悲願をついに実現へと導いた。
「僕らのマインドを鍛えることは、モノづくりの根幹を強くすることにもつながるはずです。それが魅力あるクルマづくりにつながることをみんなに伝えていきたいですし、次の世代にもこのマインドを引き継いでもらいたいんです」(計測チームメンバー)
開発メンバーの想いの先にあるのは、パイロットである室屋の存在だ。
「直接、室屋選手と話すことで、新型ウイングレットによってラウンド2で優勝したという結果を肌で感じることができました」「私たちの技術の先にいる本当のお客様の存在も感じ取れる。クルマづくりを進めるうえで、そういう思いをもって仕事をすることは、貴重な経験です」とウイングレット開発チームのメンバーは語る。
極限の現場で戦うパイロットの思いを直接受け止め、それを自らの仕事に反映させる。その好循環は、ベテランから若手へと情熱を伝播させていく。尾輪開発チームのリーダーは、この活動が人材育成にもたらす効果を力説する。
「今の若い子たちからは『モノづくりで失敗するのが怖い』という声をよく耳にします。でも、LPARの活動を通じて『失敗しても、その経験を糧にしてやり遂げれば、さらに先が見えてくる』ということを伝えたい。自分を止めない限り、どんどん伸びる。それを若手のメンバーにも経験させて、良い車づくりのベースになるように、これからもやっていきたいと思っています」
尾輪開発チームメンバーからは「LPARはみんなで喜びを分かち合えるのがすごく嬉しいですし、自分のモチベーションにもつながっています。今後もどんどん新しい開発に挑戦していきたい」という頼もしい言葉も聞かれた。開発チームの言葉を受けて、テクニカルコーディネーターの中江はまだ悔しさが滲むなかでも確かな手応えを感じていた。
「今年はものすごく人が育ったなと、本当に思います。それは去年のチャンピオンを取ったときよりもです。悔しい思いをしたほうが人は育つ。これはどの世界でも一緒だと思いますし、この悔しい気持ちを次につなげればもっと良いものが生まれるはずです」(中江)
挑戦のサイクルが、未来のクルマづくりにつながる
エアレースという極限の戦いを経て得られた学びは、技術的な側面だけにとどまらない。この活動のもうひとつの核である「人づくり」においても、確かな果実を結びつつあった。
LPARに参加して2年目の若手メンバーは「正直に言うと、LPARの活動については入るまでほとんど知りませんでした。でも、飛行機の部品開発という、正解がないものをゼロからつくることに魅力を感じ、参加を決めました」と振り返る。
「はじめて自分の手がけたモノを飛行機に乗せて飛ぶときに、ものすごい責任感と緊張を味わいました。『飛んでいるときに部品が壊れて、室屋選手が怪我したらどうしよう』と。でも、実際にレースで使ってもらい、タイムが縮むのを数字として見たときには『頑張ってよかった』と報われた感じがしたんです」
形のないものをゼロから生み出し、ユーザーのフィードバックを受けながら改善を繰り返す。このサイクルは、LEXUSが掲げる「もっといいクルマづくり」の原点そのものだ。エアレースというフィールドは、技術者たちに挑戦するマインドを植え付け、その熱量を組織へと還流させていく。この好循環こそがチームの強さの根幹にあると、室屋は断言する。
「過去に僕がエアレースの大会でチャンピオンを取り続けるなかで、数十年にわたって『どういうエコシステムがチームの中に存在すれば、限界を突破して勝てるのか』を研究してきました。まさにそれを今、LPARで実践していて、結果としても出てきています。チームのつくり方やモチベーションの上げ方といったサイクルはすでにできていて、キレイに回り始めているので、新しい人が入ってきてもサイクルのなかで育っていける。これを続けていけば、その輪はさらに広まっていくはずです」(室屋)
中江もまた「LPARの活動を持続可能にしていくためにも、より自分たちの輪を広げていかなければなりません。まだ自分のポストを譲る気はありませんが、今まで以上に後進の育成もしていきたい」と、未来を見据える。
“陸”と“空”の共鳴が生んだ熱量は技術者を育て、組織を活性化させ、LEXUSのクルマづくりを次のステージへと押し上げていく。室屋がその先に見据えるのは、単なる企業の成長に留まらない、より大きな未来だ。
「LEXUSのもつ思想や付加価値は、人間のウェルビーイングや日本の成長にとって重要となるでしょう。僕らもLPARの活動によってLEXUSの哲学に寄与することで、日本を一歩前に進ませるエネルギーになれると確信しています」(室屋)
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LEXUSが“空”で見つけた仲間と技術──エアレースへの挑戦が拓くものづくりの未来
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■LPAR関連情報
LEXUS ‐ YOSHIHIDE MUROYA | SPORT | LEXUS NEWS
https://lexus.jp/magazine/sport/yoshihide-muroya/
■LEXUS PATHFINDER AIR RACING公式SNS
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■AIR RACE X
https://www.airracex.com
むろや・よしひで◎エアレース・パイロット、エアロバティック・パイロット。2009年に「Red Bull Air Race World Championship」にアジア人初のパイロットとして参戦。16年に千葉大会で優勝した後、17年にはアジア人ではじめて年間総合優勝を果たす。23年に、新生エアレース「AIR RACE X」を発足し、初代チャンピオンに輝く。地元福島県で復興支援や子どもプロジェクトにも参画し、福島県県民栄誉賞、ふくしまスポーツアンバサダー、福島市民栄誉賞などを受賞している。
なかえ・ゆうすけ◎Lexus International Co. レクサス統括部 主幹 兼 LEXUS PATHFINDER AIR RACING テクニカルコーディネーター。空力を専門として、LEXUSで数多くの自動車開発に従事。LPARでは開発領域全般の指揮を担当している。バーティカルターンなど、エアレースにおける常識を覆すようなアイデアを証明し、チームの「Red Bull Air Race World Championship」年間総合優勝などに寄与した。




