「二段階さ。ゆっくりと、それから一気に」
これはアーネスト・ヘミングウェイの小説『日はまた昇る』の有名な一節だ。主人公のひとり(マイク)は、自分がどのように自己破産に陥ったかを説明している。続くくだりはそこまで有名ではないかもしれないが、妙に現代に通じるところがある。それはまた、米国の建国の原則が、なぜ世界での米国の地位にとって重要であり続けるのかを思い出させてくれる、時を超えた警鐘にもなっている。
ヘミングウェイはマイクに、彼の苦境は数多くの偽りの友人と債権者によってもたらされたと語らせている。「おそらく、イングランドの誰よりもたくさん債権者がいたんじゃないかな」
ヘミングウェイは、こうした人間関係の奥底にあるものをよく理解していた。返済できると信用されている限り、みんなあなたのことが好きだし、お金を貸し続けてくれる。その間はずっと好かれる。だが、返済できないとわかると手のひらを返される。
かなり長い間、米国はほとんどの人から好かれてきた。なにしろ米国は世界で群を抜いて豊かな国であり、経済的な階段を駆け上がっていくのに最良のチャンスも与えてきたからだ。
アメリカは衰退していなかった
米国の金融市場には誰もがアクセスしたい。米国は世界で最も安全な投資先を提供している。米国の市場はどこよりも多様で流動性が高く、最も強力で安全な財産権によって裏打ちされている。その財産権は、しっかりと安定した政府によって保障されている。
政治的にも、社会的にも、そして経済的にも、米国の富と安全の組み合わせは世界一である。それなのにどういうわけか、多くの米国人は悲観主義に傾くのを止められない。どんなにうまくいっていても、自分たちは前の世代よりも悪くなっていると簡単に信じ込んでしまう。それは、南北戦争のずっと前から、あるいは第二次世界大戦のずっとあとまで、米国の歴史を通じてポピュリスト運動に表れてきた。
1990年代、米国はポピュリストの大きな蜂起に直面した。当時掲げられたテーマは、今日の米国人にも聞き覚えのあるものかもしれない。いわく、自由貿易が米国の製造業の雇用を破壊している、残った仕事も移民に根こそぎ奪われている、社会は聖書にあるような罰を受けるべきだ、解決策は、ある種のナショナリズムに根ざした産業政策だ──といった主張だ(ロス・ペローとパット・ブキャナンはこうした考え方を広めた重要人物だが、ふたりとも大統領選で勝利するまでには至らなかった)。



