私たちがふつう思い浮かべるブラックホールは、重い恒星が潰れたあとの名残である。しかしそれはかなり狭い見方であって、どんなものでも十分に小さい体積にまで圧縮すればブラックホールになる。陽子と反陽子のペア1組ですら、強力な粒子加速器で光速に近いスピードまで加速して正面衝突し、その衝突によって十分な量のエネルギーが十分に小さい体積に圧縮されれば、ブラックホールを形成するだろう。もちろんちっぽけなブラックホールで、ホーキング放射を発して瞬時に蒸発してしまうため、つかの間しか存在しないだろうが。
また、数十年にわたって素粒子物理学者は、粒子を次々に高いエネルギーで衝突させることで、自然界を次々に短いスケールで掘り下げてきたが、ブラックホールを作るというスティーヴンとホイヤーの夢がもし現実になったら、その探究は終わりを迎えることになる。
衝突型粒子加速器は顕微鏡のようなものだが、その解像度の根本的上限は重力によって定まっているらしい。
というのも、さらに小さい体積の空間を覗き込もうとしてあまりにもエネルギーを上げすぎると、どうしてもブラックホールの生成が引き起こされてしまうからだ。その時点でさらにエネルギーを追加しても、加速器の拡大倍率はそれ以上高くはならず、もっと大きいブラックホールが生成してしまう。
したがっておもしろいことに、エネルギーが高ければ高いほど短いスケールを探れるという、物理学の通常の考え方が、重力とブラックホールの場合には完全に逆転する。次々に大型の加速器を建設していって行き着く先は、あらゆる還元論者の究極の夢である最小の基本構成部品ではなく、湾曲したマクロな時空の創発であるようだ。
深く染みついた考え方によれば、物理的現実は入れ子になった複数のスケールからなる整然とした体系で構築されていて、それを1つ1つ剝いでいけば最小の基本構成要素にたどり着けるとされている。しかし重力は、いわば短いスケールを折り返して長いスケールに戻してしまうため、そんな努力を徒労に終わらせる。重力、ひいては時空そのものは、反還元論的な要素を持っているようだ。理解しづらいが重要であるその考え方については、第7章で立ち返ることにする。
ではどのようなミクロスケールになると、重力と無縁だった素粒子の物理が、重力を伴うものへと変質するのだろうか?(別の言い方をすれば、ブラックホールを作るというスティーヴンの夢を叶えるには、どれだけのコストがかかるのだろうか?)
この問題と関係しているのが、本章のテーマである「すべての力の統一」である。あらゆる基本自然法則を包含した統一的枠組みを探すことは、アインシュタインもすでに夢見ていた。
それと直接関わってくるのが、多元宇宙論は本当に、この宇宙の持つ生命に優しいデザインを見つめるもう1つの視点になりうるのか、という疑問である。すべての素粒子と力を調和的に統一する方法が明らかになって初めて、その基本的な物理法則は唯一無二のものなのか、あるいはそうでないのか、そしてどのレベルになれば多元宇宙全体で違いが出てくるのかを掘り下げることができるのだ。


