経済・社会

2025.09.30 14:15

能登のシンボルを「復活」させる 起業家とLIXIL、その技術と建築家

奥能登の細道を行けば一軒、また一軒と目にすることになる堂々たる黒瓦屋根の家。なかには震災で解体を余儀なくされた家屋もあり、その瓦は本来であれば処分されるだけ。しかし、さまざまな思いの架け橋が、珠洲市が誇る能登瓦の文化をつないだ。


公費解体と黒瓦の運命

2024年1月1日、午後4時10分。田んぼに囲まれた石川県珠洲市正院町の谷内前(やちまえ)吉昭さんは茶の間で缶ビールをあけたところだった。家族も集まった元日の夕方、揺れは突然起きた。マグニチュード7.6の能登半島地震。珠洲市は最大震度6強を観測した。

「手に持っていた缶から、これから飲もうとしていたビールが全部こぼれた」

家族は無事だったが、家は全壊と判断された。能登瓦で葺かれた屋根をもつ立派な住まいは現在、市が所有者に代わって解体・撤去を行う「公費解体」を待っている。

珠洲市によると地震による市内の全壊棟数は5619棟、半壊は4895棟。同じく8月末の統計で公費解体申請が出されている建造物は8431棟という。これらには納屋など住居として使用されていない建物の数も含まれているが、膨大な数であることに変わりはない。

黒光りする屋根は能登を象徴する風景で、かつて珠洲市は能登瓦の一大産地でもあった。その瓦の多くが地震によって崩れ、砕け、あるいは解体され、あとは埋め立てられる運命にある。その総量は未知数だが、数千トンはあるだろうとされる。

「なんだか記憶まで消えていくようで」

震災で破砕した九谷焼の陶片を金継ぎアートとして復活させる――こうした「Rediscover project」を展開するCACL(カクル)の奥山純一代表は、参加する陶芸作家に聞いた話から、能登瓦の運命に関心を持つことになる。

「珠洲焼作家の鍛治ちえみさんから、この珠洲焼は能登瓦と同じ材料なんだよ、と聞いたんです。黒光りして重厚感のある表面の色、割れた断面から見えるオレンジの土の色。復興支援をしながら、やがて回収される大量の黒瓦はこの先どうなるのか気になっていたので、焼物同様、何か復活の道筋をつけることはできないかと考えたんです」

これに奥山代表のなかで忘れられない言葉が結びついた。

「自分の家が解体された被災者の方が『更地になっていく様子を見ていると、なんだか記憶まで消えていって、やがては住んでいた家のことまで思い出せなくなってしまうような気がする』とおっしゃるんです。親しんでいた思い出までもが失われてしまうということに、衝撃を受けました」

奥山代表から、割れた大量の黒瓦をどうにかできないかと相談を受けたのが建築家の永山祐子さん。CACLとは、九谷焼の陶片を骨材としたベンチをつくるプロジェクトで連携を取っていた。

奥山
CACL(カクル)の奥山純一代表
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text by Tomoya Tanimura

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