コラムニスト、ラジオパーソナリティとして活躍するジェーン・スー。TBSラジオ「生活は踊る」では2700件以上の人生相談に答え、さらにポッドキャスト『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』では軽快なトークで月間80万人以上の幅広い世代のリスナーに元気や共感を届けている。9月27日には、リスナー参加型のイベント「緑のオーバーザサン 安全第一 私たちの大運動会2025」を横浜BUNTAIにて開催し、会場は笑いと歓声に包まれた。
ラジオや書籍を通して、ときにくだらない話で心を軽くし、ときに真剣な悩みや生きづらさに向き合う人を自ら紡ぐ言葉で励ます。そんな“お悩み相談のプロ“な一面をもつ彼女はどんな若手時代を過ごしてきたのか。「世界を変える30歳未満」を選出するForbes JAPAN 30 UNDER 30 2025のアドバイザリーボードを務めた彼女が自身のU30時代を振り返る。
「小さい頃の将来の夢ってなんでしたか?」ってよく聞かれますが、全くなかったんです。ずっと目の前のことしか考えてなかった気がします。中学に入ったら高校受験、高校に入ったら大学受験、大学3年生くらいに就活を考えるみたいな。目の前にやってくるものに対応してきただけでした。なので大きな挫折もないし、その代わり成功体験もなかったです。
価値観の根底にある「異形感」
ただ小さいころから体が大きかったので、自分の「異形感」は早くから感じていました。小学6年から3cmぐらいしか背が伸びてないんです。なのでみんなと同じことをやると自分だけ目立つし、友達と服を買いに行っても自分だけサイズが合わない。当時はユニクロもZARAもないですから、親は私の服を選ぶのが大変だったと思います。そんな混ざりたくても混ざれないみたいな異形感は、今の価値観のベースになっています。
大学生の時に1年間アメリカに留学して、私より形が大きい人がゴロゴロいる中で埋没することの心地よさを初めて味わいました。ただ、「みんなと違う自分を」完全に受け入れられるのにはもう少しあとになります。
どうせみんなと違うならと自分が好きなことをやりつつ、でも何年かに1回は必ず「中庸に寄せる」みたいなことをやっては、失敗してというのを繰り返していました。会社員だった35歳の時に、最後のその波が来たんです。“女性とはこうあるべき”という姿に寄せて、無理をしていました。笑い方も格好もまるで別人で、当時の私はすごく気持ち悪かったと友だちに言われます。それで、「やっぱりダメだ、我慢できない」となり、仮予約までした結婚式をひっくり返したこともあります。自分を騙して、中庸に寄せるというのは、生理的に無理だったんだと思います。
小さい頃から「苦手なもの」と「好きなもの」はかなりはっきりしていました。音楽が好きで運動は嫌い。ファッションは苦手だけど人の髪の毛をいじるのはすごく好き。大学を卒業してレコード会社に入ったのも、単純に音楽が好きだったからです。



