失敗の方が安全に思える理由
奇妙なことに、なじみ深いキャリアにおける失敗に対しては、人はこれほどの脅威を感じない。目標を達成できなくても、肩書を奪われるわけではない。プロジェクトでつまずいても、業界の一員でい続けることはできる。1つの四半期で業績不振だったからといって、長年の経験が無に帰すことはない。
再出発はゲームのリセット
対照的に、再出発はゲームのリセットだ。なじみのない分野における補助的な地位を受け入れることになるし、あなたの経歴を評価しない人々から、懐疑的な視線にさらされることも少なくない。それまで権限を行使してきた中堅のプロフェッショナルにとっては、突然新人に戻ったかのように感じられるかもしれない。このような屈辱を受け入れるのは難しい。学習者よりもメンターの役割に慣れている人にとってはなおさらだ。
こうした恐怖は、絵空事ではない。業界によっては、「外部からの採用」への抵抗が強い場合もある。上司のなかには、スキルの転用可能性を過小評価している人物もいるだろう。収入減少や影響力低下は現実的なリスクだ。これらに比べれば、今の仕事で失敗することなど、心地よいと言ってもいいくらいだ。
とどまり続けることの隠れたコスト
しかし、今いる場所にとどまることにもリスクはある。物足りなくなった役職にとどまる人は、しばしば熱意を失っていく。それなりの業績は維持するとしても、以前の輝きは薄れる。締切は守るが、熱量は感じられない。たとえ誰も口に出さなくても、同僚はこうした変化に気づくものだ。
やがて、個人的なコストは増大していく。かつて有意義だった仕事はルーティンと化す。ストレスが蓄積し、モチベーションは下がり、チャンスを棒に振るようになる。安定に見えたものは、実際には停滞なのだ。再出発への恐怖感は、結局のところ、人々が最も恐れるものを呼び寄せる──すなわち、衰えだ。
その影響は、個人だけにとどまらない。中堅メンバーがリスクを取らなくなると、チームは創造性を失う。経験豊富な社員の一部が、実力の半分しか発揮しなくなると、企業の活力は下がる。満足からではなく恐れから今の立場にとどまる社員がもたらす悪影響は、このようにして、職場全体に静かに広がっていく。


