2025年8月25日発売のForbes JAPAN10月号は「30 UNDER 30」特集。30歳未満の次世代をけん引する若い才能に光を当てるアワードで『Forbes JAPAN』では18年より開催し、7年間で総計300人を選出してきた。
今年も4つのカテゴリから30人の受賞者を選出。BUSINESS & FINANCE & IMPACT & LOCAL部門の受賞者のひとりがゆあそび 代表取締役社長の関根江里子だ。
東京・原宿の交差点にある商業施設「ハラカド」の地下に、2024年4月に開業した「小杉湯原宿」。高円寺で90年以上の歴史を誇る老舗銭湯の、初となる2号店だ。
「小杉湯原宿」を構えるフロア一帯には、老若男女が月間10万人も訪れる。この銭湯をつくったのが、ゆあそび 代表取締役社長の関根江里子だ。フィンテック企業の取締役COOという華やかなキャリアを離れ、銭湯の世界に飛び込んだ異色の経歴の持ち主。その原動力は、父と通った幼少期の記憶と、社会への静かな憤りにあった。
「銭湯だけが、ありのままでいられる場所だった」
関根は中国・上海生まれ。戦争を経験した父と、文化大革命を生き抜いた上海出身の母との間に、父が60歳、母が40歳の時に生まれた娘だった。
「両親ともに家庭環境や時代の影響で、思うように勉学に励めなかったと聞いています。特に父親は満足に学校に通えなかったそうで、『この子にだけは学歴を』と、2人とも必死に働いて、小学校3年生から塾に通わせてくれた。仕事が忙しくて運動会や授業参観に来たことはないけれど、塾の送り迎えだけは欠かさなかった。2人はそうすることで、これまでの人生をひっくり返したかったんだと思います」
そんな子ども時代には、社会の理不尽さも肌で感じていた。清掃業の仕事帰りで作業着姿の父と、塾の帰りに並んで歩いていると「誘拐では」と通報されたことも一度や二度ではない。
「『進学塾のカバンを背負っている子の保護者が、こんな身なりなわけがない』と他の親御さんに嫌味を言われたこともあります。母は中国人というだけでPTAから疎外されもしました。両親を介して見る社会の不条理さが、毎日何かしらありました」
そんな関根にとって、唯一ありのままでいられる場所が銭湯だった。学校では、高齢の父のことを「おじいちゃん?」と聞かれるのが恥ずかしかったが、銭湯では誰も干渉しようとしない。身なりや肩書きが意味をなさなくなり、自分らしくいられる唯一の場所だった。
それだけでなく、銭湯は生きた教科書でもあった。家庭で日本の文化や行事ごとに触れる機会がなかった関根は、学校で「お正月は何したの?」などと聞かれるのが怖かった。ただ、銭湯ではそれを学ぶことができた。
「例えば七夕には笹が飾ってあったり。銭湯に行けば、次の日学校で話す“ネタ”ができた。私にとって銭湯は居心地がよい場所だったんです。学校で浮かずに済んだ、というのがあの頃の等身大の気持ちですね」



