現代の進化の物語
ニワトリのサクセスストーリーのなかで、とりわけ魅惑的な側面を挙げるとしたら、人為淘汰という概念を見事に体現しているところだろう。
自然淘汰においては、野生下で生存と繁殖を促進する形質が優遇される。これに対して人為淘汰では、人間に恩恵をもたらす形質が優遇される。急速な成長、おとなしい気質、高頻度の産卵といった形質は、野生下であったとしたら、ニワトリにとって何ひとつ有利にならない。だが、工業化された養鶏場では、こうした形質は必要不可欠だ。
人為淘汰の結果、現代のニワトリは、外見も行動も成長パターンも、祖先のセキショクヤケイとは似ても似つかないものとなった。
一部のブロイラーは、孵化からわずか6週間で屠殺される。あまりに成長が速いため、時に自らの体重を支えられないほどだ。このような度を越した身体的変化は、私たちがニワトリの遺伝と環境をコントロールしてきたことの直接的な結果だ。ニワトリは、人間が他種の進化の軌道をどれほど正確に操作できるかを、(少しばかり不穏な形で)まざまざと示す実例なのだ。
しかし、こうした事実はまた、地球の生命の管理人を自称する私たちの責任にまつわる、はるかに深遠な問いを投げかけるものでもある。
文化的象徴としてのニワトリ
客観的に見てニワトリは、世界のどこにおいても財としての役割を担ってきた。だからといって、彼らに文化的価値がないわけではない。
ニワトリを多産や犠牲の象徴とみなす社会もあれば、ニワトリに神性を見いだす社会もある。世界各地の農村では、ニワトリは貴重な食料であり収入源だ。すばらしい伴侶動物とみなす人々もいる。
その上、昨今では世界的に、自宅裏庭の鶏舎でニワトリを飼う習慣を再評価する機運が高まっている。多くの人が、食料自給を推進するとともに、食べ物の出どころを知り、食事と自分自身のつながりを再構築したいと考えているのだ。こうした草の根運動は、工業的養鶏モデルの対極だ。小規模・人道的・持続可能な養鶏方式を実践する人々は増えており、消費者からも支持されている。
生物学者はしばしば、希少種や絶滅危惧種にスポットライトを当てる。だが、時にはありふれた生き物が、想像以上に私たち人間について多くを語ることもある。ニワトリは、とりたてて風変わりではないし、壮麗でもないかもしれないが、紛れもなく、人類史において最も重要な動物の一つなのだ。


