何も変えようとしなければ、何も変わらない
この観点から見ると、情報回避は無害に見えるかもしれない。適応的とさえいえるかもしれない。大人も子どもも基本的に自分が選んだ苦痛から完全に身を守ることができる。また、ある意味では人生の不確実性の多くに対処するのに役立つかもしれない。
しかしこうした「知らない」という小さな行為がやがて積み重なり、大きなものにつながる。
結果を知るのが怖くて健康診断を受けないことは、不安を差し当たってなだめるだけで、後々本当に致命的な結果をもたらすこともある。危険信号を無視したり、恋愛における難しい会話を避けたりすることは短期的には対立を防ぐかもしれないが、満足のいかない(あるいは有害な)関係から抜け出せなくなる可能性も高くなる。
情報を避けるときに忘れがちなのは、何も変えようとしなければ何も変わらないということだ。怖いものから繰り返し目をそらしていては向上など望めないだろう。
サンタナゴパランは「幼少期における早期の回避は、広い意味で社会的課題となるかもしれない」と指摘する。「反対意見を繰り返し避ける(目を背けるように訓練する)ことで、時間とともに考えが頑固なものになるかもしれない回避の習慣が身につく」。
発達のパラドックス
その結果、最初は不快感を避けるため、あるいは公平さを保つための子どもの戦略であったかもしれないものが、最終的には大人になってから、直面する勇気のない真実から逃れる方法になってしまう。サンタナゴパランがこれを「発達のパラドックス」と呼ぶのも無理はない。私たちは好奇心旺盛な探検家として人生をスタートさせ、できる限りの知識を吸収しようと躍起になる。しかし、どこかの時点で見て見ぬ振りをすることを学ぶ。
知らないことで満足するが、にもかかわらず見て見ぬ振りは人生の展開を決定づける選択に影響を及ぼす。そして私たちは、弱点や問題点に一層気づきにくくなる。


