ダチョウは危険なものが近づいてくるのを見ると、砂の中に頭を「埋め」たがるという昔からの俗説がある。おそらく、脅威が見えないのであれば、それは厳密には存在しないという理屈だろう。
この俗説は面白いものではあるが、誤りだ。ダチョウは実際には頭を砂の中に突っ込んだりはしない。だが、皮肉なことに私たち人間はこのようなことをすることが多い。
あなたはおそらく意図的に何かを知らないことにしたことがあるだろう。充実した週末を過ごした後、銀行残高の確認を先延ばしにする人もいる。パートナーのあなたへの愛に対する漠然とした疑念を無視する人もいる。戦争や気候変動に関する恐ろしい見出しを素早くスクロールして素通りする人もいる。
このような「知らない方がいい」という考え方は大人では驚くほど一般的だ。だが、私たちがこれをどこから学ぶのかはあまり知られていない。子どもは好奇心旺盛だ(時には腹立たしいほどだ)。延々と質問し、もっと知りたがる。では、子どもの頃のこの絶え間ない好奇心から、大人に見られる選択的回避に移行するのはいつなのだろうか。そしてもっと重要な疑問は、移行するのはなぜなのかということだ。
米シカゴ大学の研究者ラディカ・サンタナゴパランが主導し、専門誌『Psychological Science(サイコロジカル・サイエンス)』に今年6月に掲載された研究はまさにこの問いに答えている。この記事では「ダチョウになる」というふさわしいタイトルがついている研究の結果を紹介しよう。
「情報回避」とは何か
サンタナゴパランは筆者とのインタビューで「大人は人生の多くの重要な領域で情報を避ける」と指摘し、「だがこれは、子どもについて我々が知っていることと矛盾しているように思われる。子どもは好奇心旺盛で学習意欲が高い」と語った。
サンタナゴパランらの研究でいう情報回避は、少し注意散漫であるとか、何かに対して少し無関心であるということとは違う。調べものをするのを忘れたり、興味のない話題に部分的に無関心になったりすることを指すのではない。
無料で簡単に入手でき、最も重要な情報から目を背ける積極的な決断
そうではなく、無料で簡単に入手でき、そして最も重要なことに、自分にとって関連性の高い情報から目を背けるという積極的な決断のことを指す。
多くの人は、このような故意の無視はしないとすぐに弁明するだろう。しかし現実には人はこのような行動を毎日、しかもさまざまな理由で行っている。
例えば、結果を恐れて検診を先延ばしにするかもしれない。自分の潜在的な弱さと向き合いたくないがために、仕事の予定表に業績評価を書き込むのを避けるかもしれない。有権者登録をしている人なら、支持する候補者に関する懸念のあるニュースの見出しが自分の世界観を脅かすようなものであるなら、それを無視することを選ぶかもしれない。
いずれの場合も、自分に関連する情報がすぐそこにある。中には、その情報が必ずしも有害であったり恐ろしいものであったりしないこともある。それでも私たちは潜在的な不快感に直面するよりも、知らない方が良いと判断する。



