壱太郎:僕は衣食住に歌って踊って祝う祭りを加えて、「衣食住祭」としたほうがいいと思っています。そしてこれらの起源が人類のプリミティブなところでつながっているなら、歌舞伎は海外の芸能からも学べるし、ほかの領域、例えば食や着物と交わって何かやることも不自然じゃない。可能性が広がります。
細尾:実際、伝統は経糸をたどることで海を越えられます。2010年に初めて150cm幅が織れる織機を発明し、テキスタイルの海外展開を始めたのですが、最初の3年は壁にはじき返されてばかりでした。「日本らしさ」や創業何年という「伝統」にこだわって和柄のクッションなどを販売しても売れない。そこで和柄から離れて素材と技術にこだわって展開したところ、評価してくれる人が増えました。大切なのは、彼らが見たことのないような「美しいもの」であるか。人間としての感性に訴え、感動させられるものであるか。日本とか伝統なんかより、実はそこがいちばん大事なことでした。
そこでグローバルに展開できる新しい和柄を開発したところ、今年のミラノサローネでは、1週間の会期中毎日2時間待ちの列ができるほどに。良い反応を得られたのは、いったん経糸を人間のプリミティブなところまでたどったから。
伝統工芸の強みは、たどれる経糸が長いことです。過去を長く遡れるから今や未来を見渡せる。過去のなかにこそ未来があるように思うんです。
伝統を本気で壊しにかかる
──伝統のなかで革新を起こすと軋轢が生じがちです。
細尾:伝統の強さとは、壊そうと思っても壊れないこと。だから僕は本気で壊しにいきます。でも伝統っていくら壊そうとしても壊れない。むしろ挑戦するエネルギーをのみこんで進化する強さがある。守ることも考えていませんし、むしろそう考えることが伝統に対して失礼だと思っています。伝統のそういう強さを信じているからこそ、誰も思いつかなかった自由な壊し方で挑もうとしています。
壱太郎:僕は美しさをより洗練させたいという意識が強いですね。ART歌舞伎の1回目は尾上右近くんとやりましたが、僕たちが役者として体現するものの質には自信がありました。あとはまとうものを変えることで、さらにどのような美しさを引き出して表現できるのか。その挑戦がART歌舞伎でした。
怒られる覚悟はしていましたよ。ただ、歌舞伎の世界は古典をやっても「おまえはダメだ」と言われます。怒られるのは、どちらにしても同じですから(笑)。むしろ否定する人がいないほうが、「本当は新しくないのでは」と怖くなります。
細尾:そういう意味では自己否定が大事です。「これでいい」と思った瞬間に革新は止まってしまう。自分で自分を壊しにいく、自分を素材に見立てて、クリエイティビティをもって美しさにこだわり変化させていく“自己工芸”の意識をもたないと、イノベーターにはなれないと思う。
壱太郎:同感です。歌舞伎は同じ演目を繰り返し上演するじゃないですか。古典を再演するとき、役者は伝統という自分の基盤を確認すると同時に、「今この時代にこの演目を演じる意義は何か」と問い直さなくてはいけない。それがないとただの焼き直しになってお客様が離れていってしまいます。


