5年前、PBR1倍割れの危機にあった味の素でIRグループ長を任された梶昌隆。数字を伝える部門から「企業価値をつくる部門」へと変えた型破りな挑戦とは。
「エクイティストーリーというのは、なぜ当社に投資すべきか、をわかりやすく伝えるということ。どんな事業モデルで、なぜ成長できているのか、いかに利益率を高めていくか、競争優位性はどこかなど、機関投資家や個人投資家それぞれの視点を理解した上でロジカルに伝えていく必要がある」
そう語るのは、味の素IR室長の梶昌隆だ。同社の株価はここ数年で一気に伸長。2025年に入ってからは上場来高値を更新し続けており、直近の時価総額は4兆円弱、予想PER(株価収益率)はおよそ32倍、PBR(株価純資産倍率)はおよそ5.2倍と高水準となっている(25年7月11日時点)。25年3月期の売上高は前年比6.3%増の1兆5305億円、事業利益は同7.9%増の1593億円と好調な業績はもちろんだが、投資家に注目される背景には、IR室による戦略的な取り組みがある。それは、未来への確かな成長の道筋を示すことだ。
「目先の数字も大事ですが、投資家が見ているのは、今後も持続的に成長できるかどうか。その可能性を伝えるために、将来性を重視した発信をしています」
例えば、現在は主に3つのストーリーで未来の可能性を提示する。ひとつ目は、圧倒的なマーケットシェアをもち、持続的な成長が期待できる海外の食品事業があること。この事業は調味料や加工食品など、生活必需品に近い商品を多く扱っている。足元では、トランプ新政権の関税政策で製造業をはじめ多くの企業業績の悪化が懸念されるが、味の素の食品事業は景気の変動にも左右されにくい。
ふたつ目が95%以上のグローバルマーケットシェアをもつ電子材料関連事業の存在だ。半導体の基板に使う絶縁性のフィルムで、生成AI市場の伸びとともに、数量の拡大やミックス改善効果も高まっている。最近では、「味の素、もはや『AI銘柄』」と見出しのついた新聞記事がでるほどで、市場関係者の間ではこのエクイティストーリーへの理解が進んでいる。
ただ、半導体業界はボラティリティが食品業界に比べて高い。
そこでみっつ目の柱となる、ヘルスケア関連事業群のストーリーだ。同社のアミノ酸技術は食品から医薬品、CDMO(製薬企業からの医薬品開発・製造受託)など、多用途に活用されている。ヘルスケア領域の売上高は25年3月期までの5年間で年平均二桁のペースで成長。味の素は創業以来、アミノ酸の研究を100年以上続けてきたからこそ、短期間に極端な投資負荷をかけることなく高い収益性を確保できている。
こうした投資家が盤石と思える未来図を見せることで、買いが促進されてきたのだ。梶がIR室に着任した20年7月当時、約900円(株式分割後)だった株価は5年で4倍以上に。PBRは1倍台から冒頭の5倍台に伸びた。株主構成も機関投資家の比率が高まるなど、「理想に近づきつつある」。
中長期戦略の発信については、大胆な動きも見られる。23年、味の素はそれまで3年ごとに発表していた従来型の中期経営計画を廃止した。経済価値に加えて、環境負荷削減などの社会価値、人的資本や知的財産といった無形資産を組み込んだ中期ASV(味の素版CSV)経営へと転換。30年のROE(自己資本利益率)20%台、EBITDAマージン(売上高に対する利払い・税引き・償却前利益の割合)19%など、利益率や成長性に着目した長期的な価値創造を掲げることで、経営のあり方そのものを見直した。



