島根の前に京都に滞在していた理由の一つは、来年開催予定の京都トリエンナーレ構想を発表することでした。アート、デザイン、クラフトを対象としたものです。
概要は「リバティ150周年記念展から京都トリエンナーレ構想発表まで」という記事に書いたのですが、アートとデザイン、デザインとクラフト、アートとクラフトと2つのカテゴリーが論じられることは多いのです。しかしこれらの3つをまとめてみることは少なく、その全体を通じてこそ人と社会の新たなあり方が問えるのではないかと考えています。
つまり、京都滞在中もクラフトが仲間との議論の焦点でした。また当然、京都はクラフトの工房や作品をみる機会も多い街です。日本らしいと思う風景もたくさんあります。日本人も外国人も京都にあるクラフトをひとつのモデルとしてみている節があります。ぼく自身もそうです。
それが石見銀山の麓にある集落でみた他郷阿部家やその他の家々で感じたのは、世界観を自らつくっていくプロセスを見せる際に躊躇しない勢いのようなものです。
例えば、障子とは木枠に和紙を貼った引き戸です。京都の東本願寺の渉成園でみる障子は、外の光を柔らかくしながら、内からは外の庭園が眺められる。ガラスの窓の位置も、畳の上に座って外がよく見えるように計算されている。仮に、この和紙が破れれば張替えを早急に行わないといけない。それゆえの緊張感にまた美学を思ったりします。
他方、他郷阿部家にある障子は別の世界観を表現しています。人がそこで生活している以上、和紙は破れることは避けられません。よってこの宿屋では、破れた場合にはパッチワーク的な施しをしていきます。違った色がところどころにある障子になり、廊下側の障子の裏にまわるとクラフトとアヴァンギャルドという普段は考えない言葉が繋がってきます。そうか、クラフトとはアヴァンギャルドの前線に立つのだと気づきます。
クラフトと伝統技術ばかりがカップルになりやすく、その殻を打ち破るのが京都トリエンナーレのコンセプトでもあるのですが、このコラージュされた障子でそのヒントを得ました。しかも、青みを帯びている障子であっても、「非和風」ではない。もしかしたら、1世紀前に柳宗悦が民藝を探して日本全国を旅していたときにこの障子をみたら、民藝の好例としてとり上げたに違いないとまで思いました。
柳宗悦は日常生活で使われるものを民藝の指標の一つにしました。とすると実際に使用できる器や玩具などが対象になりやすいです。それを起点としながらも、新たな表現を導く障子の補修も民藝でないかと考えるのは、クラフトを論じるに、そして実践するに必要な視点でないかと考えるに至ったのです。
また、この時間をかけたプロセスこそがラグジュアリーである、とも同時に思うわけです。


