もう1つは、先ほど紹介した、歩いて渡れる鴨緑江断橋の片側の高欄に並べて展示されている、この国境の歴史を解説する約30枚のプレートだ。そこには時系列に沿って、なぜこの橋が落とされたかについての経緯、すなわち約100万人の人民志願軍を北朝鮮に送り込んだ中国の「援朝抗美」の歴史が語られている。
このように中国においては観光スポットもまた、重要な中国共産党史観のプロパガンダの場なのである。もっとも、この地が戦後の米ソによる冷戦の最前線であったことは間違いなく、それを理解させるうえで、無残なまでに廃墟美の漂う断橋の視覚的なイメージは効果的と言えるかもしれない。
もう8年も前のことになるが、筆者は先ほどの新鴨緑江大橋をはじめ、中朝に架かるいくつもの国境橋の観察を通して「なぜ中国は制裁中でも北朝鮮とつなぐ橋を架けるのか」(2017.10.16)というコラムを書いている。
そこでは、次のように述べている。
<中国が周辺国の交通インフラを自ら築こうとする光景は「一帯一路」を進める東南アジアや中央アジアでも見られる。国力の差を視覚的に相手に見せつけて主導権を握ろうとする姿勢は中国の伝統である>
さらに、中朝両国の長い歴史についても、こう触れている。
<中朝国境には、中国系とそれ以外のさまざまな民族の平和的な往来と、武力による領土争奪をめぐる応酬の2000年以上の歴史がある。中国は表ざたにしないが、中国側では古代この地域を支配した高句麗の山城や城壁の遺跡があちこちで発掘されている。
そもそも高句麗王朝の最初の2つの都は中国領内(桓仁、集安)にあり、最後の都は平壌だ。この地域にとってそれは単に古代史の話ではなく、いまもなお、その歴史が連続した時間軸の中に生きている面がある>
こうしたことから、筆者は<中国は(北朝鮮との関係を)日本人の想像をはるかに超えた気長な時間感覚で捉えている>と考えるほかなかったのだが、おそらくそれは北朝鮮側にも言えることなのだろう。
中朝国境ウォッチングの最適スポット「丹東」にある4つの国境橋と歴史展示に関しては、筆者が編集制作を担当し、先月刊行した『地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン』(学研刊)で解説している。まさにこのエリアは日本の近現代史の主要な舞台の1つでもある。それは現在の日本とこれらの地域との関係においても無縁とは言えない場所なのだ。
国際報道に登場するこのような場所が、意外に誰でも訪れることができることを知ってほしい。そこには、今日の時代を理解するうえで役立つさまざまな観察材料があふれている。


